余市でおこったこんな話「その246 ヒゲのおじさん キング・オブ・ブレンダーズ」

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ススキノ交差点の角(札幌市中央区南4条西3丁目)、ビルの壁面にニッカウヰスキーの「ヒゲのおじさん」の巨大広告があります。昭和44(1969)年12月から設置されているススキノの象徴といえる広告看板で、若者の投稿なのか、SNSでは「ススキノの守り神」と言われているのを見かけたことがあります。

ヒゲのおじさんの名前は「キング・オブ・ブレンダーズ」。トランプのキングと似ている感じがありますが、温かい青い瞳で、片手に大麦の穂を持ち、鼻に小さなグラスを近づけて、ブレンドのための原酒をテイスティングしています。

このデザインがラベルに描かれたウイスキーが登場したのは昭和40年9月、カフェ式グレーンスピリッツをブレンドした日本で初めてのウイスキー「ブラックニッカ」でした。「ブラックニッカ」は、ヒゲのウイスキーとも呼ばれ、それまでにないソフトウイスキーとして人気が爆発し、ブームの火付け役となりました。

ヒゲのおじさんのモデルはW・P・ローリーといういくつもの香りを嗅ぎ分けるウイスキーのブレンドの名人という説があります。

デザインはグラフィックデザイナーの大髙重治さん。大髙さんは明治41(1908)年、東京都内で生まれ、親戚が経営する千代田区神田の印刷会社、三陽堂図案房に丁稚として働き始めました。

昭和10年頃、勤めていた会社に大日本果汁株式会社からリンゴジュースのラベルの図案制作の依頼が入ったのがきっかけで、同社の担当になりました(ラベルに描かれたリンゴの中央にはNikkaのロゴがすでに入っています)。

大髙さんが手がけたデザインは竹鶴さんに認められ、その後、ニッカの仕事を一貫して手がけることになりました(「大髙重治 手書きのデザイン展」平成26(2014)年 東京国立市のギャラリー明窓浄机館の企画展より)。

大髙さんがデザインしたキング・オブ・ブレンダーズの原画が、ニッカウヰスキー余市蒸溜所の博物館に展示されています。企画当初に検討用として描かれたデザインは、細かなモザイク状のもので、王様は正面を向いています。

「曲線に直線的なアルファベットは違和感がある」と考えた大髙さんは、ラベルの文字もビンの曲線に合わせて手書きでデザインし、ビンとラベルの一体感を表現したそうです。

ブラックニッカは日本ではじめて、カフェ式連続式蒸留機で作られたグレーンスピリッツ(穀類を原料にする蒸留酒)をブレンドしたウイスキーとして発売されました。余市工場でそれまで作っていたモルトウイスキーと、昭和39年から兵庫県の西宮工場(当時)で作りはじめたグレーンスピリッツをブレンドして出来た新しい飲み口のウイスキーでした。

余市で蒸留していたウイスキーに自信を持っていた竹鶴さんは、自らが作ったグレーンスピリッツをブレンドするウイスキーを夢見ていました。それは本場のスコッチウイスキーに勝つためでした。

資金援助者からも「余市でポットスチルは完成しているが、カフェ式グレーンをまぜないと本格的な香りが出ない。これをやらなければ、スコッチに負けてしまうよ。」と言われたことを竹鶴さんは書き残しています。

モルトとグレーンをブレンドした念願のウイスキー、スコッチに勝てるウイスキーを手に入れた竹鶴は「まさにウイスキーの品質革命といえるもの」と喜びを口にしています。

日本を代表するブレンデッドウイスキーを象徴するキャラクターは、ニッカウヰスキーの顔として今夜もススキノ交差点で光っています。

キング・オブ・ブレンダーズ

キング・オブ・ブレンダーズ

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