余市でおこったこんな話「その244 登の道路」
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北海道横断自動車道は、黒松内町を起点とし、小樽市、夕張市、清水町、本別町等を経由して、根室市及び網走市に至る、まさに北海道を横断する道路です。この区間のうち、後志自動車道の仁木インターチェンジ(仮)と余市インターチェンジの区間の工事が進んでいます。
札幌方面から余市インターを望むと、登地区のなだらかな丘の果樹園と遠くの山々の景色が広がり、ドライバーの目を楽しませてくれます。
明治の終り頃、登地区の道路は、人は歩けるものの、荷馬車が通るには狭く、背に荷物を背おわせる荷駄馬が通れる程度の道路が中心でした。
雨が降ると道はすぐにぬかるみました。登地区の小学校から海岸方向へ向かう道は、春の雪解けや秋の雨でぬかるんで通ることができなくなることが多かったので、そんな時は道路の両側の畑の中を歩いたそうです。
明治40年代の登本通り道路(現道道路線)は幅がおよそ1.8mで側溝はなく、野イチゴやハマナスが生い茂っていました。
ここも雨が降った後はぬかるみがひどくなるので、地域の人達が総出で砂利を運びました。道具はムシロで作ったモッコ(2人で運ぶタンカ状の道具)を使い、砂利は近くの橋から運んだそうです。砂利運びは人力から馬にかわり、登川の砂利が少なくなってきた頃には余市川の砂利をトラックで運ぶようになりました。道路の補修には、明治の入植当時、開墾した土の中から掘り出した石を各家から譲り受けて敷いたそうです。
赤井川道路(道道余市赤井川線)は、早い時期から馬を利用して物資を運んでいましたが、悪路のせいで赤井川村と余市町との往復は1日がかりでした。余市から冷水峠までに茶店が3軒あり、通行人はお酒や焼酎を飲み、お餅やおそばを食べて元気を取り戻しました。駄菓子もあって、夏にはトコロテンも売られていたそうです。
赤井川道路で運ばれた物資の中には炭もありました。背中に炭を背負わせた道産子(ドサンコ)が5、6頭つながれ、馬子(馬をひいて人や荷物を運ぶことを職業とした人)にひかれて歩きました。彼らは冬になるとツマゴを履いて炭問屋までの道のりを歩きました。
昭和18(1943)年、大登の奥の方に陸軍の弾薬庫などの軍用施設が建設されることになりました。
それに伴って、軍隊の手によって大々的に改修されて、トラックが通れる立派な道路になったそうです。
昭和30年代初頭、登地区で自動車を所有している人は少なく、不便を感じていたので昭和35年5月、地域住民は中央バス会社と余市町に対して、バス運行を要望する陳情を行いました。子ども達の通学の利便性を高めることが目的でした。
坂本町長(当時)が自ら北海道庁と陸運局を訪問してお願いしたところ、1年かからずバス路線の認可が下り、登神社前を始発と終着の停留所として通学バスの運行が始まりました。リンゴの袋掛けの時期には臨時バスも運行されました。
昭和26年頃には地域にオートバイが登場、昭和23年にはクロガネというメーカーのオート三輪が登場し、価格は18万8,000円(当時)でした。
昭和32年頃から小型トラックを乗る人が地区に現われ、同45年頃には、若者がライトバンまたは普通乗用車に乗り始めたそうです。
▲ 写真 道路の改修工事(『登郷土誌』)
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