余市でおこったこんな話「その227 竹鶴さんのブロンズ像」
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ニッカウヰスキー余市蒸溜所の敷地内に、ブロンズ製の竹鶴さんの胸像があります。昭和30年代に黄綬褒章と紺綬褒章を受章された記念に、昭和44(1969)年に有志から贈られて設置されたもので、当時は社長室だった旧事務所のほうを向いて建てられています。
胸像の作者は本郷新さん。本郷さんは札幌市出身、戦後の具象彫刻の第一人者で、彫刻の社会性と公共性を重視し、多くの野外彫刻を制作しました。道内では函館市の大森浜にある啄木小公園の石川啄木像、稚内市の稚内公園の氷雪の門、小樽市の旭展望台の小林多喜二文学碑などを目にした方も多いと思います。(本郷新記念札幌彫刻美術館HPより)
札幌市の大通公園西3丁目に3人の女性が踊っているような「泉」の像があります。この彫刻はニッカウヰスキーの寄贈により昭和34年に設置され、テレビ塔と一緒にみえる風景は観光都市札幌の顔のひとつになりました。竹鶴さんと本郷さんは、胸像設置の前からお知り合いだったようで、竹鶴さんが「大通公園は素晴らしいが、殺風景である。何か胸像でも作りたい」と言われ、それを受けて本郷さんから出されたウイスキーと関係のないものという条件を竹鶴さんが了解して制作されました。
竹鶴さんは、最初は叙勲を固辞していたようです。『ヒゲのウヰスキー誕生す』を見ると、地元の税務署長からの勲四等の叙勲の申し入れに対して、工場長を通して次の言葉と共に断るように伝えたとされています。
「わたし個人としては、いただくのになんら異存はない。ただ、ビール会社の社長は勲三等を貰っている。わたしが勲四等をいただいてしまったら、ウイスキー業界関係者は将来とも勲四等ということになる。業界のために、お断りいたします」
同著では、その後にあった再度の叙勲申し入れは勲三等だったので、快諾して受章されたとあります。
竹鶴さんの最初の叙勲は昭和31年の黄綬褒章、昭和35年には紺綬褒章、昭和49年には勲三等瑞宝章を受章しました。昭和41年には名誉町民に選出されています。
紺綬褒章は、公益のために私財を寄付された方が対象です。
竹鶴さんの功績はどのようなものだったのでしょうか。これまで「こんな話」で紹介してきたものでは、竹鶴シャンツェへの資金提供や運動公園敷地の寄付など、スポーツ環境の整備の功績は大きなものがありました。余市町の体育連盟(昭和22年創立)の初代会長は竹鶴さんでした。食べるものにも困っていた戦後の混乱した時代、戦争中にはやりたくてもなかなかできなかったスポーツの復活と普及に竹鶴さんは情熱を注ぎ、野球やテニス、柔道、剣道、ジャンプ競技を対象に、竹と鶴がデザインされた優勝カップと副賞を提供した大会「竹鶴杯」が長く開催されました。
昭和45年には、北海道の経済、社会、文化の発展に貢献された功績が認められ、北海道開発功労賞が授与されました。竹鶴さんはこんな言葉を自著にのこしています。
「北海道には、私のほうこそ感謝をし続けているのにと恐縮した。ウイスキーづくりに恵まれた気候、風土は天からの恵みである。北海道の天恵があったればこそニッカが生れニッカが育ったのである。」
写真:竹鶴さんの胸像(ブロンズ製)
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