余市でおこったこんな話「その222 安産」
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昭和のはじめの頃、町内で信じられていた言い伝え、または迷信がいくつかあります。福を招いたり災いを避けるもの、健康や病気について、世間一般のこと、安産に関するもの、人の年齢と暦との関係についてなどが記録されています(『余市町郷土誌』)。
同書には迷信が信じられる背景について、「當町の住民は各地方人が入りまじつてゐる。故にか其の迷信の種類もきはめて多い。」と指摘しています。
健康については、つぎのようなものが並んでいます。
・6畳間が2つならぶ部屋ある家は婦人重病す。
・丑の日の入浴は体を健康にする。
世間一般のこととしては、
・3畳間は切腹の間として忌む。
・9畳間は家内不和になるとして忌む。
・衣服仕立ての際「シツケ」糸を取らざれば病を得る。
・3戸立長屋の中(中間の家)は悪い。
安産については、さまざまな禁忌(嫌って避けること。タブー)が信じられていました。昭和40年代の余市町では、ニシン漁期中、妊婦さんが台所へ出入することは禁止、漁期中は妊婦さんのいる家に誰かが行っても火を使ってはいけないとされていました。また漁期中にお産があると、その主人が船に乗ったり、網に触れることを嫌いました。
医学が発達していなかった時代、子どもが生まれるということは神秘的なことで、危険度が大きければ大きいほど、神さまの助けが必要と考えられたと思われます。
余市町で安産に関するものでは、お地蔵様のよだれ掛けや子安貝(巻貝の一種)を持っていると安産とされました。
昭和初期のある年、町内では男児448人、女児399人で合計847人の出生数を数えました。月別では1月が96人と最も多く、最少は12月の57人でした。産婦人科は大川町に1軒、産婆さんは8名で、産婆さんは産室の設備がなく、出張診療で出産に対応していました。ちなみに昭和5年の人口は19,016人でした。
助産の状況が同書に見えます。
「産は各家庭に於て行われるのが普通である。妊婦産気づいたときは産婆を呼びて助産を乞ふ。産婆は助産の一切と後始末の一切をなし、引続き一週間位嬰児のお湯をつかはせる。乞ひによっては二十一日間のお湯をつかわせることもある。又稀には古風により、畳を起し藁を敷いて、お産をする風習も市街地外に見受けられるが、之は衛生思想の発達と産婆の指導によって最近は殆どない」
北海道内では山の神様がお産の神様と信じられ、安産の言い伝えに、馬の飼い葉をまたいだり、馬の手網を腹に巻くと安産すると言われてきました。妊婦が産室に入ると夫が馬を引いて山の神様を迎えに行き、馬が急に立ち止まったり、いななくと山の神様が馬の背に乗られたと信じました。
また、安産に関係したお地蔵様に対する信仰も多く、前述のよだれ掛けの言い伝えのほかにも、「難産の時にはとげ抜き地蔵の護符を顔にはった」という言い伝えが道南函館地方で信じられていました(『北海道の祝事』)。
江戸時代の松前地方は、東北や北陸からの出稼ぎや飢饉によって移り住んだ人々が多く、明治以降、松前地方経由か、出身地から直接、道内各地へ移住する人々が、生まれた土地の言い伝えや禁忌を持ち込んで、地域で受け継いだと思われます。
余市町の安産に関する言い伝えに、熊の「百ひろ」を持っていると安産というのもありました。「百ひろ」を辞書でひくと、「腸、はらわた」とあります。
写真:子安貝
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