余市町でおこったこんな話「その214積丹半島への旅」
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積丹町を修学旅行先とした余市中学校(現在の余市紅志高校)の生徒20名が余別村についたのは、大正14年(1925)年7月27日のことでした。
学生や団体が修学旅行や観光で積丹町を訪問するのは明治時代からのことで、古くは明治34(1901)年、古平小学校の修学旅行の児童80名が来岸村に1泊、翌日は余別村に移動して、地区のお寺に1泊しています。同39年の札幌中学校(共学化後の札幌南高)や、同40年の小樽中学校(現在の小樽潮陵高)なども余別村に宿泊していますが、お寺や旅館の他、地域のニシン漁場に宿泊することが多かったようです。
観光面での小樽からのバックアップもありました。小樽新聞社主催の積丹半島周遊団の一行1,200人が美国港外に停泊したのは昭和5年7月27日のことでした。その日の午前10時、日本郵船所有の竹島丸が到着すると歓迎の花火があがり、はしけ船が続々と船から乗客をおろします。一行は海岸を散歩する者、市街を歩く者、浜鍋の無料サービスもあって、全町はお祭りのような騒ぎになりました。
昭和10年代、法務局の余市出張所職員の方が積丹半島の徒歩一周旅行をされた際の経験談がのこっています(『月刊郷土誌よいち』昭和31年)。
「天下の絶勝地だから折角暑中休暇をとって旅行するのなら是非積丹行にせと勧められて…(中略)…先ず一泊目は小樽茶屋(婦美神社を過ぎて野塚婦美線との分岐付近)という昔の駅逓で、こゝでは宿のおばさんから熊の話をきかされ、次が紹介状を貰って行った郵便局長さんにことわられ、仕方なしに草内の漁場へ 三晩目が珊内小学校(神恵内)の運動場で夜通し蚊攻めにあい、最後が文無しになって岩内の裁判所の官舎。食事は道々米、味噌を買い乍らの自炊という気楽さで、下手に紹介状なんかで立派な家に泊めて貰わない方が、却って愉快だったかも知れなかった。
この旅行は聞きしに勝る奇勝の連続で、好天に恵まれて大成功、(20年後の)今でもその印象は鮮やかに残っている」
昭和20年代の夏のこと、余市から余別までのバスの様子は賑やかでした。
「余市、古平間のけわしいので有名な山道を通る際には、ことに賑やかであった。…中略…誰かが、札幌でスシを食ったら五百圓とられて、イカツケ一晩分すッ飛ばしたとなげく。…中略…津軽系らしい色白の娘が突然窓から首を出して吐く。背中撫でてやれや、と傍らの男へひやかすのがいる。野塚村のお婆さんがマムシにさされた話。婦美村に仔連れの熊が出てキビ畑を荒らしている話。町の運動會の寄附金を五十圓とられた話。」(「旅のあれこれ」『北の旅』)
景勝地として知られていた積丹半島でしたが、観光へと舵をきったきっかけは、漁業の不振でもありました。
図:積丹半島のバス路線図(昭和20年代部分)図中の矢印が小樽茶屋
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