余市町でおこったこんな話「その212 カムイギリ」

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今から13年前、アイヌ民族の祭具が余市水産博物館に寄贈されました。シャチの形をした板状のもので、背びれがピンと立ち、胴体には曲線形の透かし彫りがほどこされています。頭と胴体、背びれが組み立て式になっていて、組み合わされた状態で長さ約108cmほどの大きさです。
寄贈されたのは札幌市在住の男性、元北海道大学農学部博物館(当時)の研究者の方で、その男性が札幌市の骨董店から購入されましたが、シャチ形の祭具がカムイギリということが最初はわからず、何の目的で彫られたものか長い間不明でした。
カムイギリとは、レプンカムイ(沖・いる・神)であるシャチをかたどった祭具で、サケやニシン、オットセイなど海の生き物を従えています。
このカムイギリのことは新聞で報道されました。記事にはカムイギリを支え持つ博物館の乾館長(当時)の写真が見えます。記事の見出しには「カムイギリ 博物館に 研究家・難波さんが寄贈」とあります。また、このカムイギリと一体になっている細縄から明治時代に作成されたものと推測されることや、余市から留萌管内の海岸沿いのアイヌ集落のリーダー格のお宅に宝物として代々受け継がれてきたものがあったことが書かれています。
これとは別に、平成元年頃に作られて水産博物館に寄贈されたカムイギリがありました。組み立て式ではなく、背びれ部分を接着剤で接着した1枚の板から作られた、長さ約120cmのカムイギリは、下側の縁に穴が開けられて、魚や海獣の木彫りが木製の鎖で吊り下げられていました。
このカムイギリ作成の経緯について、町内在住の郷土史家の青木さんと難波さんが詳しく報告されています。カムイギリは焼却されて復元されたもので、経過については、「…第二次世界大戦までは(屋内に)祭壇が設けられて四季折々に豊漁が祈願されていたが、日常は祖父の部屋のシントコ(漆塗の木製容器)など宝物の類が積み重ねられていた上に吊り飾られていたという。…(作成者に召集令状が届いて)兵隊にとられ軍隊に入ることになった昭和19年11月に、父祖が引き継いできた多数の宝物と共に焼き払われて…」ということでした。
もしも自分が戦地で銃弾に倒れた場合、父祖が大切に守ってきたカムイギリやその他の宝物を守ることができなくなると思っての悲しい決断だったものと思われます。
祭壇の詳しい様子も報告されています。カムイギリは祭壇の上に掲げられ、その下にはシントコやその他の祭具、キツネとシギ(チドリ目シギ科の鳥)の頭骨、浜から拾われた丸石や鳥形の流木、山海の季節の収穫が供えられていました。朝夕の祈りは火の神、カムイギリの順に拝み、キツネ、シギの神様に順にお祈りしました。
新聞記事では現存するものは少ないとされましたが、シャチをかたどった海の生き物を従える木製の祭具は余市から留萌まで、この2つの他には見当たらないようです。

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図:カムイギリ

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総合政策部 政策推進課 広報統計係
〒046-8546 北海道余市郡余市町朝日町26番地
電話:0135-21-2117(直通)FAX:0135-21-2144

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