余市町でおこったこんな話「その210 函館『本線』その2」
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函館本線は、函館~旭川間の約420kmを結んで北海道を縦断します。「こんな話その14」でも紹介した通称「山線」は、倶知安や黒松内、ニセコなどの山あいを縫って走り、長万部に出て、噴火湾沿いに南下して函館を目指します。札幌函館間は、千歳や苫小牧を経由する室蘭本線を利用するのが一般的ですが、昭和30年代頃までは、函館から札幌へ向かう旅行者の多くが、小樽につくと「もう少し」と思っていました。山線は、昭和3(1928)年の長輪線(長万部~室蘭間)開通や新千歳空港開港までは輸送の中心でもありました。
函館本線が全線開通した明治37(1904)年、日露戦争が始まります。戦争の背景には、日清戦争に勝利して大陸へ進出しようとした日本への、イギリス、フランス、ロシアによる三国干渉がありました。遼東半島の割譲をあきらめた日本と、満州を事実上占領したロシアとの戦争は避けられないものとなりました。こうした中、国内でも国防上の理由からの鉄道敷設が急務だったようで、「北海道ノ拓殖防備上鉄道布設ノ急要ナルハ、今必スシモ弁明スルヲスベカラク…(中略)…政府亦(また)必ス北海道鉄道ノ急要ヲ認メタルヲ知ル可シ。」との声があがります。兵士や軍備を運ぶための鉄路の必要性はますます高まりました。
仁木町の駅舎ができたのは粉雪が舞う明治35年12月10日のことでした。紋付きの羽織袴の招待者は胸に徴章を付けて駅へ集まり、その他の人々は線路の脇に人だかりを作りました。
「朝早くから赤井川方面から弁当さげて来る人もあり、せめて一生の思い残しにと孫に手を曵かれてわらじがけの老人もあった。まだか、まだかと人々は汽車の来るのを待っているうち、駅前で突然花火が打ちあげられ余市の方から来る汽車の姿が見えた。人々はどよめき小旗を振った。駅員は人々の前を駈けぬけながら「前へ出るな、前へ出るな」と叫んだ。」(『仁木町史』)
また、仁木駅から余市駅まで馬で競走して、勝った人もいました。機関車に途中で追い抜かれるのですが、余市駅近くで機関車が速度を落としたところでなんとか追いついて勝ったということでした。
大正時代には「積丹半島鉄道問題に就いて」と題する記事が「余市新聞」に見えます。余市駅、仁木駅、然別駅のいずれかの駅と古平町を結ぶ鉄路を敷き、それに続いて美国積丹方面へ延長しようというものでした。建設費がいくら必要か、どのような調査が必要かを探るべく、古平町会議員7名の調査委員が選定されました。大正9年11月16日には然別駅ルートの調査が、翌10年3月15日に仁木駅ルートの調査が行われた結果、地質調査と約1里(約4km)の長いトンネルの掘削が必要なことを確認し、類似の問題を持つ留萌及び増毛方面への実地調査も行うなど積極的な活動がされました。
日露戦争が終わった明治の末頃は、国による殖民政策の中心が朝鮮半島と中国東北部「満州」の大陸に移ったことで、明治から続いた北海道「開拓」の意義が後退した時期だったと言えるかもしれません。しかし、北海道に開拓のために来た人びとからすれば、鉄道開通などで不便な生活が少しづつ良くなってはきても、まだ「道半ば」が実感のはずでした。
写真:余市駅 昭和20年代か
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