余市町でおこったこんな話「その199 初鰊」
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今年も2月になって浜中町などで群来が見られました。鰊漁の豊凶は江戸時代から、ながく地域の経済の浮沈を左右するできごとだったので、人々は大漁を願い、神仏に祈り、未来を占いました。
節分の豆占いは、広い地域で行われていました。保管していた豆を炉の中に並べ、豆ごとに自分の定置網をわりふって、豆の焼け具合でそこの定置網が大漁かを占うもので、白く全体に灰になれば吉、黒く焦げれば凶とされました。ニシンが大漁かどうかだけ占う地域もあれば、道南の一部では、その年1年間の月ごとの漁模様、天気、旅行や天気を占うところもありました。
昭和のはじめころ、積丹半島東岸でのニシンの初水揚げの時期は、3月20日前後といわれ、4月初旬が漁の最盛期となりました。漁期は3つに分けられて、走り(はしり)、中(なか)、後(あと)と呼ばれ、初水揚げされたニシン、「初鰊」は神棚へ供えられ更なる漁の継続と大漁が祈願されました。「走り」のニシンは魚体が大きく、主に生食用として高値で売られたので、今か今かと待っている漁家は、初鰊漁獲の報告に喜びました。
明治末以降、ニシン漁獲高は北海道南部から徐々に減少しはじめ、その後も変動が続き、将来の展望が楽観できるものではなくなってきたので、北海道水産試験場はそれまでの研究成果の蓄積をもとに、年ごとの全漁獲量と地方別の漁況の科学的な予想を開始し、昭和3(1928)年からは印刷物にして発表していました。このニシン予報は、毎年のニシンの年齢別漁獲量をもとに、各年齢の群れの生存率を前年の漁獲とあわせて計算し、海洋観測と漁期前の流し網の漁獲を考慮して算出するものでした。
予報とは別に、各地の水産組合(後に漁業組合)は毎年の詳細な鰊漁況、「鰊漁況報告」を記録していました(以下、「報告」)。記載する項目は毎日の漁獲高、時刻、ニシンの去来方向、天候、風力、気温、水温、波浪高さ、網の敷設時間など、多岐にわたりました。
「報告」を見ると、大正から昭和にかけての初鰊はその年によって様々だったようです。大正11年の余市では「山碓町(現港町)字ニボカイニ於テ刺網」に3尾のニシンがとれました。おとなり忍路郡では3月27日に魚箱で40~50箱の水揚げがありました。
翌12年の初鰊は前年より少し早く、3月15日のことでした。「報告」ではつぎのように記録されています。
初鰊八尾(山碓前六尾出足平二尾濱中一尾)
浜中前浜一ヶ統、山碓前浜ヨリ尻場先マテ八ヶ統出 足平二ヶ統本日初めて投網刺網も四五艘投網セルモ ノナリ (魚体)肥大ニシテ成熟シ居レリ
この年の初鰊は合計8尾でした。山碓前浜からシリパ岬の先までの定置網8か所と出足平の2か所が、この日初めて網を入れて、幸先よく8尾のニシンがかかりました。刺網も4、5軒の漁家が出漁したようです。たった1尾でも初鰊の乗網は一大事でした。魚体は「走り」ならば大きいはずですが、小樽市などでは小さく未熟なものが多く見られ、海況に何らかの変化があらわれていたようでしたが、大きくて成熟した初鰊にほっとした漁期の始まりだったようです。
写真:鰊漁況報告の表紙 大正十一年度
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