余市町でおこったこんな話「その204その名はヨイチ」
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ヨイチはアイヌ語地名といわれています。江戸時代のアイヌ語通辞(通訳)の上原熊次郎によると「ヨイチ。夷語イヨチなりユウオチの略語にて即温泉の有る処と訳す。此川上に温泉のある故地名になす由」といい、明治時代に活動したアイヌ語地名研究者の永田方正によると「イオチ。蛇多く居る処の義。余市村のアイヌ忌みて実を語らずと雖ども,他部落のアイヌは蛇処と云ふを知るなり」といいます。このふたつの見解を自身の著書『北海道の地名』で紹介している山田秀三さんは、「特別の根拠がない限りは,この両説があったとして置きたい」としています。
山田秀三さんはアイヌ語地名研究家として著名な方で、明治32(1899)年に東京で生まれ、東京帝国大学(当時)を卒業後、農商務省などに勤務し、終戦の年に退官、昭和24(1949)年に北海道曹達株式会社の設立時に請われて初代社長となります。アイヌ語研究者の金田一京助、知里真志保らと交友関係を持ち、東北や北海道で現地調査を丹念に行い、多くの著作をのこしました。
山田さんは、アイヌ語地名を調べるためにはアイヌ語の正しい知識が必要と考え、昭和22年ころに金田一京助博士と出会い、長い交友関係がはじまりました。
その2年後、北海道曹達株式会社の設立に伴って北海道で暮らす日々が多くなり、会社の経営が安定してくると、道内各地への調査旅行が増えました。
余市や小樽市へは昭和27年ころに訪れていたようです。フゴッペ洞窟の丸山を背景にして撮られた写真には、発掘調査途中で岩肌があらわになったフゴッペ洞窟が見えます。またアイヌ語地名研究の傍ら、道内の民謡や鰊漁場の民俗にも関心を持ち、小樽市忍路の忍路鰊場の会の設立に尽力し、余市町内の鰊漁についての聞き取り調査も行っています。
前述した『北海道の地名』にはヨイチのほかに、ヌッチ、オタノシケ(浜中町)、モイレ、畚部(フゴッペ)が掲載されています。
ヨイチの語源となった温泉の有る処、蛇多く居る処とはどこを指した地名なのでしょうか。シリパ岬から余市川河口近く(運上家のあるところ)まで、ヤマウス、ヌッチ、オタノシケ、ハルトロ、モイレと続き、河口から東はフゴッペがあって小樽方面へ続きます。温泉は「~こんな話 その132」のモイレ城閣の頁で紹介しましたが、昭和30(1955)年の余市温泉開発懇談会が開催された頃、町内に湯気があがって自噴するような温泉はなかったはずです。同じく海岸線で蛇の多くいる場所と聞いても、ピンときません。
江戸時代のはじめ、寛文9(1669)年のシャクシャインの戦いの頃、津軽藩により蝦夷地各地の様子が記録された『津軽一統志』にある「松前より〔上〕蝦夷地迄所付」では、「ふるひら」と「もいれ」のあいだに「與市 川有 澗あり (中略) 家四十軒 古城あり」と記されています。與市(よいち)は川があって船が停泊できる「澗」がある場所、また「古城」とは東中学校付近にあった天内山遺跡のことだと思われます。モイレは「静かである」の意、その手前のハルトロは、「岬の向こう」の意です。「もいれ」の西側に船が停泊できる場所で天内山を望める場所はないように思われます。與市とはどこなのでしょう。
図:海岸線のアイヌ語地名
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