余市町でおこったこんな話「その197水」
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あけましておめでとうございます。
元日の早朝に汲んだ水を「若水」といいます。神棚にお供えをし、雑煮を煮るときに用い、一年の邪気を払ってくれる縁起のよい水とされています。
余市町の飲料水のはじまりは、明治43(1910)年の富沢町のことで、井戸水が木管の水道管によって250戸へ給水されていました(「こんな話」その45)。これよりも古く、明治36年には小樽区(当時)稲穂町の「大虎」さんに奥寺家が依頼して水道を完成させたのが「余市水道」のはじまりという記録がありました(『余市町史草稿 第二分冊』)。
同書によると、大正時代になると余市川の埋め立て地(現在のニッカウヰスキー(株)から余市橋にむかう付近)で水道敷設の計画が持ち上がり、その頃にいい水が湧き出していたのは2ヶ所で、ひとつは冨塚さんの所有地(住所不明)、もうひとつが黒川8丁目付近の井戸の水で、銀座街の方からもその水をもらいに行く人がいたそうです。
余市町内で飲料に適した水がでるところは少なかったようで、「畚部、登、山道、大川は水質良好にして飲料に適するも、黒川本町、山田村は泥炭地の部分あり、水質やや劣り、中にはまったく飲料に適しないものがある」状態でした(『余市町郷土誌』)。
余市川を水源として給水されている現在の上水道は、昭和 25(1952) 年に創設されました。昭和41年、水不足に悩む小樽市による余市川取水計画がたてられると、余市町から不安の声があがります。新聞紙上でも「水がほしい」と銘打った特集が組まれました。
記事によると、当時、小樽市内で人口増加が見られた高島、祝津、赤岩方面などが水不足となり、特に水を大量に使う水産加工関係者にとって深刻な事態となりました。予定された取水量は1日2万3千トンで、この取水が始まると余市側下流の地域の産業の発展が阻害されるといういくつかの心配でした。1点目は水位が低くなって農業用水が不足すること、2点目は今後の企業誘致が進めば多くの工業用水が必要になるという不安、3点目は取水によって流量が減ると、逆流する海水によって河口に土砂が溜まり、予定されていた荷揚場の建設が困難になることや、漁船の避難場所として利用できなくなる不安、4点目は流量の低下によって鉱山からの廃液の希釈度が下がって水道水が汚染される恐れがあること、5点目は苔の減少などによってアユの生育条件が悪化すること、これにより観光資源が失われるというものでした。
余市町の反対に小樽市が歩み寄る格好を見せ、北海道からは前述の5つの問題点は認められず、双方の話し合いによって合意を得るべきとされました。また水位の低下も現在の水位と比較して2~3cmほどと試算され、海水の逆流やそれに伴う土砂の流入も考えづらいものだったようです。
余市町側の不安はなくならないままでしたが、昭和41年の年末に「小樽市の取水を承認 余市川問題にピリオド 七項目の前提条件」の報道が見えます。条件はダムの頭首工の整備、アユの保護対策、河口港の定期的な浚渫(しゅんせつ)、災害発生時の対策などの確約がなされることで決着をみました。
写真:余市川の河口港(新聞記事 昭和41年6月19日)
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