余市町でおこったこんな話「その188 群来(くき)」
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今年は1月末から3月にかけて、ニシンの群来のニュースが多かったようです。群来は大群で押し寄せたニシンが放出する白子によって海が白濁する現象を言います。
何万トンも漁獲された頃の様子に、押し寄せたニシンの大群によって「海中に落とした櫂が斜めに立ったまま、ニシンの波とともに流されていった」とか、「海面から頭を出す低い岩が押し寄せるニシンに隠れた」ほどで、「打ち寄せたニシンは誰でも手づかみで取れた」といった今では想像するのが難しい逸話が残されています。
さて、この群来という言葉(現象)は、漁期中にどれくらい発生したのでしょうか。記録はふたつあって北海道水産試験場(当時)が記録した鰊漁況報告(以下、報告)は、各地区の水産会とその支部(漁業協同組合の前身)が北海道水産試験場に提出したものを年度ごとにまとめた記録です。もうひとつは小樽市にあった調査会社、笑新社が独自に情報を集めて発信していた鰊漁況日報(以下、日報)で、各地から日々、電話と電報で届く漁獲量をまとめ、ガリ版で印刷して配布したものがありました。このふたつと当時の新聞報道から、昭和7(1932)年にニシンの群れが回遊、接岸する様子をどんな言葉で記録していたかをみていきます。
この年の漁獲量は余市で24,520石(約18,390トン)、小樽で34,348石(25,761トン)で、まずまずの漁模様の年にはなりました。しかし、漁期中、余市が群来たのは4月6日から7日かけての一度だけでした。函館毎日新聞によると「六日夜群来せる鰊は(豊浜からシリパの)全線にわたり沿岸各地漁場共大々漁替り枠を付けたる所数ケ所あり~意外の好漁に濱方は一般歓喜の絶頂に達し人気沸立つてゐる」とあります。同紙によるとこの日と翌日の漁獲合計が14,500石とありますが、報告では4月7日から8日に漁獲17,000石の記録があり(こちらが正しいようです)、豊浜からシリパ岬までの海岸線に連続してニシンが押し寄せました。しかしながら報告には「産卵なし」とあるので、群来なくても大漁になることはあったようです。
小樽市で群来が記録されたのは4月5日、9日、11日の3日間でした。報告によると5日は「午前七時頃ヨリ祝津山中方面ニ薄乗アリテ~(時化のため)枠ヲ投棄又ハ破損セリ尚ホ産卵スルマデ群来ス」、9日は朝里から張碓まで「濃厚ナル乗網アリテ同方面ハ各所ニ色ヲ揚ケ群来~」、11日も銭函歌棄地先迠ハ色ヲ揚ケテ群来」とあります(日報には記載なし)。「枠」とは袋状の網をぶら下げた漁船のことです。
群来という現象は大きな魚群が回遊していても発生しないことがありました。新聞報道では群来がいつ来るかと期待する言葉が並んでいます。
報告と日報の記載のばらつきは、それぞれの報告者で見たものが違うのでしょうか。日報には厚乗り、薄乗り、小乗り、厚掛り、薄掛りなどさまざまな表現があります。表現の違いは、漁獲と網の種類にあるようで、「~乗り」は定置網の漁獲量、「~掛り」は刺網の漁獲量の程度によるもののようです。日報で各地から伝えられる情報には、刺網漁、定置網漁の様子を伝える必要があったのかもしれません。
18世紀中頃、板倉源次郎により著せられた「北海随筆」に「鯡のより来るをくきると云う」とあり、江戸時代からあった言葉でした。長い間使い続けられてきた中で、漁模様を形容する言葉が細かく分けられてきたようです。
写真:かつての群来(昭和29年)
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