余市町でおこったこんな話「その185 民放がきた」
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あけましておめでとうございます。
余市町で民放のテレビ放送が見られたのは昭和44(1969)年のことでした。
「時田山テレビ中継所の鉄塔がリンゴの樹間ににぶく輝く。昨夜の『紅白歌合戦』もいま放送中の(雅楽の)『越天楽(えてんらく)』の調べもこの中継局があればこそなのだが、意外とその存在価値が無視されているようだ。」(昭和44年の新聞記事中のエッセイ「ふるさとスケッチ 時田山テレビ中継所」)
余市町では前年の昭和43年10月21日から、チャンネル2番でHBCが見られるようになり、年が明けた1月15日からチャンネル6番でSTVが見られるようになりました。この記事によれば時田山(役場庁舎の南側)の中継所ができる前から、共同視聴施設を利用してSTVを視聴できた世帯が300戸ほどあったそうです。民放を町民みんなが見られるように、余市町が仁木町と小樽市に協力を仰ぎながら放送局に働きかけて実現した中継所建設は、同43年7月に着工、10月中に完成しました。ほどなくしてHBCが見られるようになりましたが、STVは札幌テレビ塔の中継利用を手稲山に変更したため、手稲山の中継所の工事終了まで見られませんでした。
また「余市地方には、スポーツファンが意外に多いといわれる。それだけに“スポーツのSTV”を見られないファンはじれったがることしきり」ともあります。共同視聴施設で視聴できる家まで足を運んだり、小樽市まで車を走らせてテレビを見に行く人もいたほどの熱心さだったそうです。野球やプロレス人気だったのでしょうか。
前述の「ふるさとスケッチ」では続いて、「標高百十三メートルのこの時田山は、あまり特徴がないためか、山頂に立つ者は極めて少ないようだ。しかしその展望は意外と美しい。南にニセコ連山、北にはるか増毛、雄冬の山々を望むことができる。またさらに眼下に広がる余市平野はさながら一大パノラマ。…中略…時田山のふもと一面のリンゴは、いま深い雪に埋もれて冬眠のさなか。枝払いの季節には大分間があり、農家の姿は絶えて見えない。しかし時田山はこのところ若いスキーヤーでにぎわっている。中腹に手ごろなシャンツェがあるからだ。」とあります。
この年の9月の一か月間は「余市町くらしに生かす放送利用月間」で、NHKの協力でさまざまな催しが企画されました。広報を見ると各種行事が目白押しです。中学生以上へは放送利用体験作文の募集、公民館では「婦人向け法律相談」(9月6日)が、NHKラジオの公開録音では黒川小を会場にして「国語教室」(9月12日)が、西部公民館では「消費者生活学習会」(9月17日)が、公民館では「若い女性のための話し方教室」(9月29日)が行われました。
同月間の目玉は9月21日午後2時30分からのNHKミュージックパレード公開録音でした。黒川小学校を会場に予定し、紅白歌合戦にも出演した水原弘さん、シャンソン歌手の薩めぐみさん、演歌歌手の英亜里さんの名前が見えます。
翌10月からはNHKのカラー放送時間が延長され、11時間30分となることも告知されています。 カラーの番組は「世界の音楽」「鞍馬天狗」「お母さんといっしょ」などで、「鞍馬天狗」は期待の新番組でした。
写真:新番組の鞍馬天狗の一コマ(『広報よいち』昭和44年9月1日号)
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