余市町でおこったこんな話「その176 森の先生、どろ亀さん」
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平成6年5月22日、道内の緑化活動を実施している北海道ボランティアレンジャー主催の「山川草木を育てる集い」が余市町内で開催されました。同団体は顧問として、「どろ亀さん」こと高橋延清東京大学教授や脚本家倉本聡さんらが名をつらね、自治体やボランティア団体とタイアップして大掛かりな植樹活動を展開していました。
当時の新聞や広報を見ると、どろ亀さんこと高橋教授の来町は大きな関心をもたれたようです。この日は同団体余市本部の設立記念を兼ねた記念植樹で350人が参加、多目的公園の西側と北側に、用意されたエゾヤマザクラの苗木400本を植えました。
余市町の森林について古い記録をみると、明治時代の様子は「尻場山の一帯を被へる大森林の中に櫻樹交り春の尻場岬はあたかも京都の嵐山を彷彿せしむるかの感があったと云ふ。当時はまったく森林取締等も知らず、此等の大樹は、薪炭材建築材にと自由に切り出されたもので…」とあり、シリパ岬は京都の嵐山のようにきれいで、当時は取り締まりが厳しくなかったようです。昭和7年頃に約13,700ヘクタールだった森林面積は、平成20年代以降、現在までは約9,300ヘクタール程度で減少することなく推移し、うち人工林と天然林の比率はおよそ4対6、広葉樹と針葉林はおよそ6対4の割合となっています(『余市町郷土誌』ほか)。
「山川草木を育てる集い」に招かれた高橋教授は、森林の伐採と造林が一斉にされることを憂い、色々な状態の森林を似たもの同士で分けて森を作っていく林分施業法を考案された方でした。昭和49(1974)年の定年退官後、平成元年に北海道ボランティアレンジャーの最高顧問に就任、これ以降、道内各地で毎年20回位以上の植樹活動を行いました。教授時代は、森林が先生であり教室だからと東京大学の教壇には一度も立たず、ひたすら森林の中での研究活動に励まれたそうです。
余市町での「山川草木を育てる集い」は、国の桜づつみ事業のモデル指定を受けた余市川沿いの運動公園が会場となりました。今もみんなの目を楽しませている河川敷堤防の桜並木は、報道などで振り返ると昭和30年代のはじめ、町内有志(建設業協会、観光協会、青年会議所、役場など)が集まって、田川橋周辺の河川敷や堤防沿いに植えたものだそうです。
高橋教授は「この町出身の毛利さんは、宇宙から森林の大切さを訴えるメッセージを送ってくれた。きょうは毛利さんにちなんで“宇宙への夢、この桜みち”をテーマに定めました」とユーモアを交えながら参加者へ語りかけられました。
当日の写真を見ると、青空のもと、小学生が慣れないスコップを持ちながら楽しそうに植樹をしています。関係者による働きかけが長い間つながって、桜並木が守られています。
写真:どろ亀さん(右から2人目)と記念撮影
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