余市町でおこったこんな話「その174 『中村源兵衛町長の「綱下ろし』」
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二代目余市町長だった中村源兵衛さんは嘉永4(1851)年2月江差に生まれました。生家は鰊漁を営んでおり、幕末には季節的に江差から余市に来住する生活をしていましたが、明治6年に余市町へ一家あげて転居、引き続き漁業経営を営みます。
中村さんの町長就任は明治37(1898)年10月、1年半ほどと短い任期でしたが町長退任後も余市酒造(株)、余市林檎酒(株)、余市魚肥(株)、北海道銀行、余市倉庫などの監査役や取締役などを歴任し、地元実業界の重鎮としての顔を持ちつつ、鰊定置網漁家としての着実な経営もされていたようです。
中村家は余市町ユーベッポ(歌越と烏帽子岬の中間)と同山碓(現在の港町周辺)の定置網2か所を持っていました。同家古文書「重要記事目録」(以下、「目録」)には、鰊漁が始まる前の2月から3月までにさまざまな準備があったことがわかります。
この「目録」は大正4(1915)年の2月21日から始まり、およそ2か月後の4月27日までの、漁期中の作業内容、漁獲高、陸揚状況などが記されています。この中から「膳碗整理」と「網下ろし」の記事を意訳して紹介します。
「膳碗整理」は文字通りお膳やお椀など食器類の点検と補充のことを記しています。2か所の定置網を操業する中村家漁場では、50人分以上の食器類を揃えなければならなかったはずです。
「網下ろし」は着業前の全ての準備が終了した3月20日頃、働く人たちはもちろん、警察署長さんやお医者さんなど地元の名士も呼んで盛大に催す大宴会でした。
漁期用膳椀整理
(2月15日 晴降雪 稍寒気)
「造舩工事を引き続き行っている。今日は漁期中に使うお膳とお椀の整理をする。お膳はあまり減っていないが、ご飯茶碗と汁椀はかなりの量が少なくなるのが常であるので、買わなければならない。家人に命じて買うこととする。」
網下し祝
(3月20日 吹雪 時化 寒気)
「今日は午前中に前濱の土俵(定置網を固定する)を入れた。建物前の雪を畚(モッコ)を使って運んだ。今日は漁具等の破損を修復する作業を行った。午後三時から網下し祝を行った。」
この網下ろしは昭和の初めころまで盛大に行われ、食器類も贅を尽くしたものでした。宴もたけなわになると、胴上げが始まります。小樽新聞には余市町内で催された網下ろしの最中に行われた胴上げの様子が見えます。
「網おろしのお祝いなるものは胴上げで終始するといってよいのだ。もう大広間に幾組かの胴上げ最中で~待ってましたとばかりに道銀の支店長さんが仁王のような人たちにあげられた。記者本人もいきなり押さえられた。哀願しても無駄だと度胸を据えたものの初めての経験でいささか面食らった。ドートコセーとやられて変な気持ちだったが威勢のよいものだ。フラフラとわれにかえり座につけば今度は(お酒の)大杯攻めの新手でくる・・・」(『小樽新聞』昭和4年3月27日)
写真:中村源兵衛『小樽區外七郡案内』 明治42年
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