余市町でおこったこんな話「その170 昭和30年代初頭の余市川かいわい」
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「烈風吹きまくる日も、日夜クレーンの音を高くひびかせて目下町民永年の要望であった永久橋としての余市橋の工事が進められています。」(『余市町区会だより』昭和32年2月1日)
それまでの余市橋は橋脚に基礎工事を施さない木橋で、大正末にできてから30年ほどが経っていました。老朽化はかなり進んでいたようで、昭和29年4月6日の新聞記事には、「車馬の通行も制限 余市橋 永久橋架け替へ猛運動」の見出しが見えます。同年4月3日に幼児2人が寄りかかった欄干が折れて川に落下する事故がおきたこと、車馬の重さに耐えられるか不安なので重量制限をしていること、関係方面に架け替えをお願いしているとあります。
その後、関係者の努力が実り、2年後の同31年11月17日には余市橋架け替え工事の起工式が行われました。起工式を伝える記事には、駅前から仁木町へ向かう国道5号線の直線化工事が終わって完工式があったことも伝えられています。
この頃、余市川に合流していた旧登川でもふたつの問題が生じていました。登川の河口が新たに開けられ、水量が少なくなった旧登川からドブのようなにおいがするようになりました。同31年の年末、駅前から農協と信金の間を抜けて海岸へ向かう大川町停留場線の陸橋が架け替えられます。その際に川幅の半分を埋め立てて橋の長さを半減させたことで、流れが遅くなったこともにおいの原因だったのでしょうか。
もうひとつは、旧登川の堤防に並んでいたマーケットが埋立工事のために移転しなければならなくなったことでした。
マーケットは4軒が仮の建物として出来たことで始まりました。戦後は樺太からの引揚者らも営業し、最終的には9軒ほどが食料や雑貨のお店を営業します。もともと道路として使っていたところに建っていたので、その先にあった協会病院への自動車の通行も出来なくなっていました。その後、埋立は進み、マーケットも廃業か移転を余儀なくされます。
余市川の川底から浚せつされた土砂と、国道5号線の工事で発生した土を埋め立てて出来た土地は中央公園(ラルズマート黒川店横)になりますが、札幌市の大通公園のような公園や公民館、産業会館など「モダンな」総合庁舎を建ててはどうかという意見もあったようです。
余市橋の工事は順調に進み、工事開始から1年たった同32年12月には橋の下方部分、土台と4基の橋脚の工事が終了します。橋脚工事の前には、川底の厚い粘土の除去に3日間の徹夜作業を行って、水面から20メートルまで掘り下げました。
橋の上部構造である桁部分は特殊な鋼材が採用され、同33年5月に東京から小樽経由で搬入されました。「リベットを打ち込む溶接の音、その鉄桁をクレーンで持ち上げ、橋に渡していく響きを余市川の川面一ぱいに広げ、すぐ近くの仮橋を渡る町民もしばし足を止めて見とれている。」(昭和32年5月31日付の新聞記事)
同33年10月15日、新たな余市橋は総工費1億3千万円、延長150メートル、幅9.5メートル、区会だよりによれば「テーライトグリーン」(明るい緑色か)に彩られて、落成開通しました。
図:余市橋完成図(昭和33年4月26日の新聞記事より)
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