余市町でおこったこんな話 その152「冬を越えたリンゴ」

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明治時代から、冬期間にリンゴをどう貯蔵して乗り切るか、地元の人々は苦慮していました。「余市リンゴのロシア輸出」で紹介した回想では、「自家の倉庫や、ニシン場の石蔵、土蔵など冬の間だけ借りて貯蔵したのですが、青森ものは4月以降はボケてしまう。これに比べて余市ものは春が遅いだけに、肉質が長持ちするので、春は余市産が大部分を占めておりました(服部精介さん談)。」とあります。本州よりも遅い春が有利に働いて、限られた時期だけ青森産と戦えたようです。
時代は下って昭和になり、土野鶴衛さん、佐藤友一さん、品田栄治さんの3人が冬期間のリンゴの品質維持のために、雪を利用した保管、「雪冷(ゆきれい)」を考えました(『余市農業発達史』)。
まず、昭和12(1937)年に、佐藤さんと品田さんが、翌13年に沢町農事実行組合の組合長だった土野さんが雪冷を試みました。
雪冷は、蔵の床に歩み板やスノコを敷き、リンゴの入った木箱を高く積み上げます。そのまわりに入れられた雪が蔵内を低温のままに保つ仕組みでした。リンゴ用の木箱の中に新聞紙を敷いてからリンゴが入れられますが、おが屑かモミガラも一緒に入れました。おが屑は、よそから譲ってもらったり、薪を作る時に生じたものを利用しました。木箱はふたがされて、乱暴に扱ってもいいように縄で結わえられました。
その後、同25年には、西農協により木造平屋40坪の雪冷蔵庫が建てられ、同38年には、黒川町2丁目に余市町農協により近代的な大型の冷蔵倉庫が、完成するなどして冷蔵保管の環境が整えられました。
昭和40年代まで、リンゴ貯蔵はこの雪冷と本冷蔵(機械での冷蔵)、普通貯蔵の3つの方法が併用されていたようです。同42年4月5日の新聞報道には、「リンゴの出荷活発化、余市 一日三千箱以上出る」の見出しに続いて、「春の到来とともにリンゴの需要がふえ、町内で越冬した貯蔵リンゴの荷動きが活発化してきた」との記事が見えます。この年の4月初旬には雪冷蔵で12万箱、本冷蔵で15万箱、普通貯蔵で8万箱の計35万箱のリンゴが冬を越えました。
また、4月初めから中旬までは普通貯蔵のものが1日に3,000箱(1箱は18キログラム)のペースで札樽と道東方面向けに出荷されていて、以降は雪冷蔵と本冷蔵の出荷に移りました。価格は平年並みでスターキング1箱(80玉)が1,700円、国光(100玉)が700~750円でした。この年のリンゴの収量は平年並みでしたが、色づきが悪かったために大量の在庫を残した年になりました。
翌43年4月も、越冬したリンゴの出荷が新聞記事になりました。前年の反省を踏まえて、収穫直後からどんどん売りさばいた結果、この春の在庫を前年の三分の一程度におさえることができました。この年の在庫も5、6月には出回って売りつくされる見込みで、農協も生産者も「明るい表情」でした。

「西農協選果所」(昭和42年4月5日の新聞記事より)

写真:「西農協選果所」(昭和42年4月5日の新聞記事より)

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総合政策部 政策推進課 広報統計係
〒046-8546 北海道余市郡余市町朝日町26番地
電話:0135-21-2117(直通)FAX:0135-21-2144

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