余市町でおこったこんな話 その137「子ども」
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新年あけましておめでとうございます。昨年、平成27年中に生まれた新生児は男44名、女40名の計84名でした。80年以上も前の昭和7(1932)年、この年の年間出生数は847人でした。年明けの3か月が連続して多く、1月が96人、2月が87人、3月が86人と80人以上の出生数はこの時期だけです(次いで多いのは10月の77人。『余市町郷土誌』)。
余市町はじめ北海道日本海側に昭和40年代頃までのこされていた、子どもの誕生前後にまつわる習慣や言い伝えは、時代とともに今ではほぼ見られなくなっています。
余市町内で記録されたものでは、赤ちゃんに着せる産着について、「木綿地の赤い花染の肌着を着せ、花染の頭布をかぶせた。これは丈夫な子に育つようにという願いをこめたものだ(昭和45年)」とあります。赤い着物を着せるのは、赤い着物が悪いものからその子を守ってくれるものと信じられたからでした(還暦の頭巾や女性の腰巻も同じ考え方でした)。また、お産のお見舞いは、出産後、3日から21日の間に行われることが多く、近所の家や親せきからお見舞いの品として、「赤い花染の木綿」が贈られました。
お産に関係した俗信では、妊娠中のお母さんが甘いものを好めば女の子が生まれる、海草類を常に食べていれば頭髪の黒い子が生まれる、アワビを食べれば産後のお母さんの髪が抜けない、お産の前に果物、大根おろし、菜っ葉、塩引き鮭を食べるとよい等があり、道内の広い地域で伝えられてきました。
お産に関係した禁忌(してはいけないこと)では、「産婦はニシン漁期中絶対に台所へ出ることが許されなかった。漁期中は産人のいる家へ行っても、その家の火は使わない。漁期中にお産があると、その主人も船に乗ったり、網に手をふれることを嫌った。」という記録ものこされています(『日本海沿岸ニシン漁撈民俗資料調査報告書』)。
『余市町郷土誌』を見ると、昭和7年当時の町内の産婦人科は鷲見病院があり、他に産婆さんは8名、産院はなく、産婆さん達はお産のある家に出張診察をしていました。家の中の畳を立てて、そこに藁をしいて行ったお産がかつてあったことも記されています。
別項では生まれた子どもの育児状況に紙幅がとられています。「育児に対しては、~中略~、一部特殊階級の間にあっては婦人雑誌其の他の書籍により得たる知識によって稍々合理的な育児方法が行われて」いたとあります。子どもの寝かせ方では、仰向けに寝かせる方法がもっとも多く、仰向けと同じくらいに「かなり多い」のが「イヅコ」を用いる方法とあります。「イヅコ」は、育児用のカゴのことで、藁で編まれた丈の低い餅つきの臼のような円柱状の民具です。
また夏の間はハンモックを使って寝かせることもあったそうで、これはノミを防ぐためでした。
写真 保育所の入所式(『広報よいち』昭和61年5月号より)
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