余市町でおこったこんな話 その94「国道5号線の舗装」
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国道5号線の舗装
余市駅前を走る国道5号線のうち、駅前から黒川小学校付近までの630メートルほどが、昭和33(1958)年に舗装されました(その10参照)。これにより雪解け水で道が洪水になることも、ひどい砂ぼこりが舞うこともなくなりました。
同時に道幅の拡幅も進められました。国道拡幅の期成会のメンバーだった方の手記には、つぎのような思い出が記されています。
昭和30年頃、国の機関から5号線の拡幅計画が伝わったとき、工事の予定路線はそれまで走っていた国道5号線で、「ニッケー通り」と呼ばれていました(現在の町道、大川町7丁目線(にれの木通り)から仁木町へ抜けるルート)。
それを聞いた坂本町長(当時)は、駅前から仁木町方面へ直線で向かう現在の路線に変更するよう申し入れました。
この直線化の申し入れによって「数十戸」が立ち退きの対象になりましたが、町長の熱意に応えた地主さんたちからの土地の提供により、路線は無事変更となりました。
予定されていたニッケー通りのルートも、銀座商店街の人たちが期成会を設立して協力することを約束したので、銀座商店側を通る現在のルートで工事が進められ、同35年に完成しました。
工事の無事を祝ったブラスバンドのパレードが、大川小学校から黒川町まで練り歩きました。続いて、ホテル丸福(現在の余市経済センター)に関係者130人が招かれて「落成祝賀会」が盛大に催されました。
昭和30年前後の『区会だより』から当時の様子を見てみます。昭和33年8月の『区会だより』には「余市町内国道工事舗装など四ヶ所 駅前など近代化促進」の見出しが見えます。
駅前交差点の写真が載っていて、舗装工事が順調に進んでいる様子が見えます。その2年前、同31年9月の『区会だより』には、旧国道からの路線変更が歓迎されていることも書かれています。
また、この路線変更と拡幅工事によって、駅前から仁木町寄りに新市街ができていたようです。
大浜中地区では、翌36年に舗装が完成しました。砂利道で起伏があった道路は高低がなくなり、橋の幅も広いものになりました。
『大浜中の百年』によると、春と秋にひどいぬかるみができること、道路が乾いていると、馬車のつくった「わだち」が残って、ひどいデコボコ道になったので、波打ち際の方が歩きやすかったと書かれています。
昭和33年11月当時の交通規則も見えます。乗用車の速度制限は60キロメートルまで、バス、トラック、丸ハンドルの三輪車(オート三輪)は50キロメートルまで、軽自動車は40キロメートルまででした。
この年は国道229号線も開通、古平や積丹町美国までの定期航路が廃止された年にもあたります。
国道の舗装化は自動車が交通の主役となることを急速に進めました。
写真:国道5号線の舗装工事(余市駅前)
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