余市町でおこったこんな話 その84「水泳」
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昭和のはじめから、少年少女の水泳大会で余市出身選手が活躍しました。世界的な名選手、根上博さんをはじめとした余中(現在の余市紅志高校)水泳部が有名ですが(その18、19参照)、その快挙に後押しされるかたちで大川小学校も全道水泳大会で活躍しました。
選手の練習場所は浜中町の海岸や余市川でした。余市川のニッカウヰスキー近くにも水泳の練習場所があり、今よりも低かったとはいえ、大川橋や田川橋から飛び込むカッパたちがいました。
余市高女時代、水泳自由形の北海道代表となって国体に出場した女性からお話をうかがいました。「高女1年の時(昭和21年)、夏休みの水泳訓練で認められて選手になりました。浜中の海岸で練習したり、合宿があると小樽の長橋中学校や小樽商業、商大のプールで練習しました。部員が数人集まって船で豊浜に送ってもらい、ローソク岩まで泳いで往復したこともありました。大川橋や田川橋から飛び込んだこともあったけど、川底にぶつからないように飛び込み方にコツがありました。」
昭和はじめの余市中学校の水泳部は、浜中町の海岸で練習しました。『余高五十年』によると、「合宿練習中の北大水泳部の選手に依頼して水泳の基本をマスターさせることにしたのである。浜中町の海岸に設けられた粗末なスタート台とターニング台、コースロープなど気のきいた物もないので…(関係者らが)親身になって手ほどきをしてくれたのである。」とあります。この頃からの練習が実を結んで、余中水泳部は全道大会で優勝するほどの強豪となりました。後には専用のプールができました。
昭和4(1929)年には小樽市で全道少年水泳大会の開催が決まり、大川小学校が出場することになりました。この年に水泳協会が結成されて指導体制が整いましたが、練習するのに適当な場所がなく、協会のひとたちは選手のために田川橋近くの「古河」を「急造」の水泳練習場として整備、翌5年には練習場をさらに改良して「どうやら練習可能な」プールが出来上がりました。
『余市文教発達史』によると、長さが7.5メートルほどもある丸太を川底に打ちこんだり、川底をならしたりする作業には余中生も参加しました。
そこで練習を積んだ大川小学校の選手たちは、昭和6年7月に開催された全道水泳大会で尋常科が優勝、高等科(現在の中1、中2)が準優勝、翌7年には強敵だった函館市の湯の川小学校をやぶって尋常科と高等科がそろって優勝しました(「感激の思い出」『潮風 大川小学校開校百周年記念誌』)。
時代は下って昭和43年1月15日、豊丘町の区会の総会で地域の子どもたちにプールを作ろうという機運が高まりました。地域の人たちは役場や議会に働きかけ、各方面からの寄付金も集まって校庭にプールが完成しました。ビニール製の簡易プールでしたが、周囲は1メートルほどの高さの木製のプールサイドも作られた立派なものでした。同年7月9日にプール開きが行われ、余市水泳協会による水泳指導や、先生方への水難救助の講習会がありました。プールへの給水は余市鉱山からいただいた消防ポンプを利用しました。毎週、土曜日の午後と日曜日の早朝は当時の校長先生、教頭先生らによってプールの清掃と消毒が欠かさずに行われたそうです。
写真:田川橋付近のプール(『潮風(大川小学校開校百周年記念誌)』より)
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