余市町でおこったこんな話 その83「馬」

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耕作や輸送のための馬の利用は古くからありました。電信電話が発明されるまでのもっとも速い情報の伝達手段、鉄道が開通するまでの陸地でもっとも効率的な輸送手段は馬によるものでした。
余市町にのこる馬の記録のうち、輸送にかかわるものを見てみると、江戸時代の終わり頃、出足平(現白岩町)から湯内(現豊浜町)の一帯では、野生の馬が畑の作物を荒らすので柵をめぐらせていたというお話が見えます。これは当時、ニシンを加工した製品を急な坂を上り下りして運ばなければならず、馬に輸送を頼るのですが、漁期が過ぎて、用事がすむと、そのまま野に放していたためだということです(『余市農業発達史』)。
町西部方面から駅までのニシン製品輸送でも、馬が活躍していました。余市駅前の風景の回想に、「…(馬車曳きの人たちは馬に汚い言葉を)叫び、革の手綱を馬の尻に浴びせる。馬は悲鳴をあげ積載量以上の荷を、脚を張って曳いた。天を仰ぎ大きな眼から涙をこぼし、脱糞した。特に残虐な行為(が見られるの)は鰊のとれる春の頃で、雪どけ道を生鰊を積んでの駅へ行く街道がひどかった。」とあります(『余市文芸』第19号)。
同書第13号の「記憶の中の余市 大正慕情」にはのどかな描写もあります。「あの頃、町の路上は、まだ大きな鉄の輪をはめた頑丈な馬車が、ガラガラとやかましく往来し…馬は時々、長い尻尾の付根を不意に持ち上げて、ぽこん、ぽこんと丸い糞を落とした。…町にはまだバスはなかったので、一般の乗り物というと、停車場(駅)まで走っている乗り合い馬車であった。…乗り合い馬車は、ポカポカとひづめの音を立てながら走っていたが、私たちの走る方が速かった。…待合所は郵便局の向い(沢町信金近く)にあった。二、三匹の馬が馬ぐさを食っていて、待合所の中では、馬追いがキセルで煙草をのみながら、何か話しては笑っていた。」
かつてあった余市鉱山でも、昭和12(1937)年に完成した豊丘町の選鉱所から鉱石を運び出す馬輸送が盛んで、「冬になると鉱石運びの馬の行列が、一つの風物詩となりました。山道村の馬40数頭、余市町の各農村からの出稼ぎ馬、近郊の古平や赤井川村からも農閑期を利用して、遠くからかけつけ100頭を超える盛況ぶりでした。…全長13キロメートルの道程を百頭近い馬ソリがえんえんと続きました。…坂道や道のわるいところにさしかかると、のりきるため人馬一体の光景が見られます。」(豊丘町『郷土史』)
昭和8年刊の『余市町郷土誌』に掲載されている乗合馬車は13台、その営業者数は12軒、荷馬車は59台、その営業者数は53軒が登録されていました。ちなみに同じ時期の町内の人力車は3台(営業者数3)、自動車は乗客貸切り用4台、貨物用2台が営業しています。本格的な自動車の時代が到来するのは戦後で、それまで輸送の主役だった馬は、人々の身近な存在でした。

写真:荷馬車による生ニシン輸送

写真:荷馬車による生ニシン輸送

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