余市町でおこったこんな話 その79「余市高女」
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昭和8(1933)年の『余市町市街明細図』、浜中町モイレ台に「高女」の地図記号が見えます。北海道余市実科高等女学校は大正12(1923)年に創設された女子専門の中等教育の学校で、昭和24年に余市高校と合併して男女共学となるまであった学校です。
高等女学校は「高等女学校令」(明治32(1889)年公布)にもとづいて各都道府県で創設され、修業年限は6年、入学資格は4年間の尋常小学校卒業者となっていました(公布時)。余市実科高女では尋常小学校(6年間)、高等科(高等小学校2年間)を修了した女子が本科2年間、補習科1年間の修業年限で学びました。
『余高五十年』によれば、以前からあった小樽や札幌市の女学校へ汽車通学や下宿をしながら通学した生徒がいましたが、大正10年代には地元余市町にも女学校設立を目指そうという機運が盛り上がり、同12年の町会(議会)において満場一致で議決されて北海道余市町立実科高等女学校が創立されました。昭和3年には北海道余市実科高等女学校に改称され、高等小学校卒業後の入学であったものが、尋常小学校卒業後すぐに入学して4年間学ぶことになりました。また英語を履修することもできるようになりました。同14年には余市高等女学校と校名が変更されて「実科」の文字がなくなり、同16年には北海道庁立となりました。
校舎は昭和14年に移転するまではモイレ台の警察署裏手にありました。同校校歌に「白楊が丘」と歌われていることから一帯は白楊(ポプラの仲間)の木が多かったのかもしれません。
大正12年度の授業科目は、第1学年は修身(道徳、習字)、国語、図画、実業(商業、園芸)、数学、家事、裁縫(和服の裁ち方、ミシン使用法)、唱歌、体操を、第2学年は第1学年の科目から図画と唱歌をのぞき、裁縫に洋服の裁ち方が加わりました。続く補習科は地理・歴史、理科、教育、法制・経済の各科目も学びました。同校を卒業すると裁縫科教員と小学校準教員の免許状を得ることができました。
大正時代の卒業式の様子が描かれています。「なごやかな家族的な雰囲気の中で学んだせいか、卒業式後、職員は生徒を帰宅させるのに一苦労したとある。時には卒業式当日作法室に一泊し、夜を徹して語りあかし、或はスカートの白線を一本々々抜いて運動場に輪をつくり、暗くなる迄、別離を惜しんだ生徒達…」
テレビドラマになった「白線流し」は岐阜県内の高校の卒業式の日、男子の学生帽の白線と女子のセーラー服のスカーフをつなげて川に流しながら別れを惜しむ有名な行事で、昭和のはじめ頃からかたちを変えて続いています。余市でもそれより古くから、白楊が丘で白線をつないだ女子だけの青春がありました。
写真:モイレ海岸での集合写真(『余高五十年』より)
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