余市町でおこったこんな話 その71「乗合自動車」
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乗合自動車(タクシー)の営業開始は、大正9(1920)年5月のこと、鈴木自動車が小型乗合1台で運転業を開業したとあります(『余市町郷土誌』)。その後、種田さん、大越さんも開業し、町内の「乗客用車」は計14台、トラック4台となって、海運との連絡や町内主要路線、小樽や仁木、古平など近隣の町とも結びました。運転期間は5月から11月までの雪のない期間に限定しての営業でした。
「乗り合い馬車の待合所のとなりに、スズキ自動車屋があった。…(中略)…その自動車が発車するとき、自動車の鼻先に鉄棒を突込んで、エンジンがかかるまで、その鉄棒をグルグルまわすのである。…(中略)…自動車が走り出すと、私たちは大声をあげて、その後を追いかけるのである。…(中略)…自動車の排気ガスをかぐためである。…(中略)…ホコリの中に残ったガソリンの、あのかなしいような、なつかしいようなにおは、あれは確かに文明のにおいであった。」(「記憶の中の余市 大正慕情)『余市文芸』第13号)
『余市町郷土誌』によると、余市古平間の乗合自動車による貨客輸送は札幌自動車合資会社が担っていました。同社の営業所は駅前にあり、余市駅から古平まで1時間半の道のりでした。昭和8(1933)年当時は乗用車4台とトラック1台で1日5回の往復で、年間1万人のお客を乗せ、貨物は700トンほど、ほかに郵便物の運搬もしていました。
豊浜町のニシン場の親方、荒木家のご家族が遺された手記『なづきとぼんのぐとあぐど』に、この「乗り合いタクシー」の思い出が記されています。
「昭和四、五年頃と思うが、余市駅前から古平まで新道を開いて乗り合いタクシーが通るようになった。…(中略)…子どもたちはワザワザその道路まで行って車の来るのを長い間待ち、通り過ぎるとホコリを浴びながら、歓声を上げ、息の切れるまで追いかけた。…(中略)…(私の父が乗り合いタクシーを利用して余市に向かう時)電話で時間を問い合わせ、山を一つのぼって峠のトンネルの下の道路まで歩いて乗るのである。一台に六人、後ろ席に三人、その前にイスが出て後向きに二人、助手台(席)に二人と運転手である。」(前席は運転手とお客一人の合計二人か。)
余市と古平を結ぶ道路は現在の海岸線を通るルートではなく、カーブの数が365以上もあることから「1年道路」と言われた、自動車の通行にたいへんな注意を要した道路でした。荒木家の父が山を一つのぼって向かった「峠のトンネルの下」というのは現在の出足平峠付近のことでしょうか。
余市から小樽への乗合自動車は小樽郊外自動車株式会社が担い、昭和7年7月に営業が開始されました。大川小学校前から出発して、小樽までは40分の道のりでした。同社は乗用車4台、トラック2台を持ち、1日8往復で、年間の乗客数は2千人、貨物は300トンを運んでいました。
こうしてみると近隣の町との貨客輸送は札幌自動車や小樽郊外自動車が担い、地元では鈴木自動車や種田自動車が活躍していたようです。
乗合自動車のスピードは制限がありました。市街地の8間道路(幅約14.5メートル)と市外6間道路(幅約11メートル〉は時速12哩(約47キロメートル)まで、市内の4間以下(約7.3メートル)と市外2間以下(約3.7メートル)の幅の道路は通行が認められていませんでした。
図:鈴木自動車(矢印) ※図左上は水産試験場(昭和8年の『余市町市街明細図』より)
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