余市町でおこったこんな話 その55「シリパ爆破」
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昭和35(1960)年の余市町十大ニュース
- 余市港改修
- 国民健康保険実施
- 小児マヒ流行
- 黒川商店街改装
- 電報電話局新局舎着工
- 登町バス開通
- フゴッペ川改修完成
昭和36年12月号の『広報よいち』に前年の余市町十大ニュース(なぜか7つ)が掲載されています。
第一位となった余市港改修ですが、最初の大規模な余市港の築港は昭和4年に工事が開始されて昭和17年に一応の完成をみています(その13参照)。
その後、昭和30年代になって漁船保護のための改修を求める声が高まり、同35年から5か年計画の工事が予定されました。全体の総工費は3億円以上、最初の年には南防波堤の延長約80メートルにわたる部分を高さ3メートルの嵩上げし、外防波堤の延長96メートルも4.5メートルへ嵩上げ工事が行われました。
しかし、翌年の台風18号による波浪で、外防波堤と北防波堤のケーソン(防波堤の基礎となる大きな函型のコンクリート)周囲に盛られた捨石(砂利)が大量に流され、そのままではケーソンが傾いたりずれる恐れが生じたことから、災害復旧工事も並行して進められました。外防波堤の先端から350メートルの幅で、海中に厚さ1メートルの砂利を投入しましたが、その量は6,000立方メートル、トラック1,000台分に達しました。この年も前年と同じく南防波堤の約111メートルと外防波堤約19メートルの嵩上げ工事が順調に進みました。
工事3年目には、前年に流された北防波堤のケーソンまわりのおよそ200メートルの捨石の復旧がされました。ひとつの重さ1トン半の大割石が2,200立方メートルと2×3メートル大のコンクリートブロック100個が海中に投じられました。
想像するのが難しいほどの大量の砂利や石が余市港の工事に使われましたが、昭和37年5月には岩石採取のため、シリパ山の爆破が行われました。この爆破に使われた火薬の量は2トンで、当時「道内では数年来の大爆破」と言われました。爆破されたのはシリパ山の海側麓にあたる部分で、砕石量は10,000立方メートルが予定されました。
当日はあいにくの雨でしたが、爆破時刻5分前にはサイレンが鳴らされ、1分前から秒読み開始、爆破は大成功で予定量以上の岩石が採取されました。
工事は着々と進み、余市港の改修は無事終了しました。同じころ、漁協による冷凍すり身加工場や共同作業所が建設されるなどして、余市港の機能は充実してゆきました。
図:余市港改修予定図(「広報よいち」昭和37年4月号より)
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