余市町でおこったこんな話 その53「魚のマークの青少年会館」
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大正14(1925)年、余市郡漁業協同組合の第四代組合長に当時41歳の猪俣安造が選ばれました。『カクサン(口の中に三)猪俣家小伝』によると、新組合長となった安造は余市港の改修、水産試験場の誘致、漁業組合事務所の新築という3つの大きな事業にとりかかりました。それまでの事務所は富沢町に明治30年代に建設された斬新な洋風建築でしたが、職員増加で手狭になったことや老朽化が進んだことから、現在の浜中町に新築が計画されたのでした。
同書によると工事は札幌市の臼沢建設工務所が請負って大正15年5月に着工、およそ8か月で完成し、余市水産会館と命名されました。
鉄筋コンクリート造2階建(一部地下1階)の内部は、1階に応接間、役員室、事務室が、2階には200人収容の会議室がありました。屋上の眺望場も鉄筋コンクリート製の頑丈なもので、内部には投光器が据えられ、夜間の船舶の航行を見守っていました。屋上には天気予報を知らせる信号柱もあったそうです。『余市郡漁業協同組合創立百周年記念誌』によれば、当初予算1万7千円(当時)で着工された工事は、天候不順による遅れと「建築技術が低かったこと」から6千円増額の2万3千円(当時)で完成しました。
猪俣組合長は工事費が増額したことに責任を感じて自費による補てんを申し出ましたが、組合役員はこれを個人の負担には出来ないとし、組合所有の山林を売却して不足分に充てました。
正面玄関の左右に5点と各階の内部に組合長がデザインした魚のマークが飾られています。外部の魚のマークはコテで仕上げられたもので、大きさは80センチメートル×30センチメートル、厚さ3センチメートル、内部に通る3本の配筋はまったく錆びておらず、今では失われた大正時代の技術の一端を見ることができます。
水産会館は昭和41(1966)年頃まで使われた後、昭和44年5月に余市町青少年会館となりました。同会館は青少年の剣道と卓球の練習を目的とし、かつての会議室が体育室と名を変えて使用されました。
少年剣道練成会は毎週土曜日の午後に行われ、余市町剣道スポーツ少年団(団員約60名、昭和57年当時)が汗を流しました。また毎水曜の夜間には余市剣連の練習会もあって剣道居合道の練習がありました。
昭和57年当時の体育室の年間利用者数は剣道がおよそ1,800人、卓球が150人ほどでした。
剣道の大会は少年剣道大会が3月に、今井杯争奪少年剣道大会と少年剣道紅白野試合が8月に行われ、野試合は会館前浜で行われたそうです。(写真は少年剣士の野稽古の様子)
昭和50年代の剣道大会の小学生の優勝者を見ると昭和50年のA級優勝者(個人)は沢町小、51年は大川小、52年は黒川小と町内各校の実力は3校が拮抗していたようです。
- 青少年会館は平成20(2008)年末に解体されました。
写真:少年剣士の野稽古(頭の上に風船が見えます。)
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