余市町でおこったこんな話 その46「春告魚をさぐる」
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昭和11(1936)年の3月から4月にかけて、ニシンが来るのを今か今かと待っていた地元余市町の関係者の悲喜こもごもの様子が報じてられています。
「春の人気者-鰊の脈動を打診する海の科学船」の記事では水産試験場の試験調査船航海の体験記が見られます。「ニシンの神様」のお話(その32、33)で紹介した水産試験場のニシン予知調査で重要な役目を担っていたのが試験調査船、探海丸と白鴎丸の2船でした。この2船は海水温調査や流網による標本ニシンの採取などを行った結果を細かく発表し、ニシン回遊の予兆をつかもうとしました。
同年3月20日の新聞を見ると津軽海峡に探海丸が、石狩湾に白鴎丸が航海し、白鴎丸は同日、古平町丸山岬沖で四年生鰊を4尾捕獲しました。これが「初鰊漁獲の声に 親方連は狂喜 余市濱に歓呼あがる 待たるる白鴎丸第二報」と大きく報道されました。期待していた四年生の成魚は今後の漁獲が期待できる証しとして歓迎されました。
しかし残念なことに4月になっても大漁の声はどの漁場からも聞こえず、余市神社で大漁の祈願祭が行われました。同年3月の記事には「町財政の明暗は鰊の吉凶如何 余市全町挙げて祈願」とあり、町内有志は神社での大漁祈願祭の後、さらにシリパ岬の頂上に登っての大漁祈願行事を企画しました。
祈願祭は4月3日11時から余市神社で行われ、笠島町長、白田警察署長、倉上試験場長はじめ漁業関係者200名余が参列し、鰊の鱗(銀鱗)にちなんで銀貨を奉納しました。その後一同は大漁旗を掲げてシリパ岬頂上まで登り、村上余市中学校長(後の余市高校)のかけ声によって「両殿下万歳」を叫びました。この時、石田郵便局長の手から2羽の伝書鳩が放たれました。その後、本間沢町青年団長の指揮にしたがって鰊沖揚木遣音頭を合唱し、最後に余市郷土研究会会長だった山岸医院の山岸院長の発声による「鰊大漁万歳」、白田署長による「北海道水産業万歳」、笠島町長による「余市町万歳」の発声で万歳を三唱しました。
しかし地元の願いはかなわず、4月12日には「鰊・気まぐれか 海況に一大変調か」、「後志は見込薄す 敗残の余市に棄鉢の声」の記事が見られます。北の焼尻島では群来が見られ、利尻島でまとまった漁獲があって後志管内の漁業者は加工用の生鰊を買い付けに向かいましたが、東北からの雇いの漁夫らは例年よりも早い帰郷となりました。
写真:シリパ岬頂上での鰊大漁万歳(昭和11年4月5日の新聞記事)
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