余市町でおこったこんな話 その27「ニシンの真珠」
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人工的に作られた真珠、人造真珠はガラスやプラスティックの小さな玉を核にして、その表面にパールエッセンス(魚の鱗から化学的に合成した薬品)を塗布したものです。現在は大阪市の南の和泉市などが中心産地で、中国や韓国産の人造真珠が多く出回る中、品質でゆるぎない地位を築いています。
世界最初の人造真珠は1656年、フランスで作られました。パールエッセンスは最初、コイ科の淡水魚が使われましたが、その後、アプレットという腹が銀色のウナギが利用され、20世紀には海水魚、なかでもニシンが最良のものとされました。日本国内では、明治の末頃の大阪商人、大井徳次郎が、タチウオの鱗をパールエッセンスの原料にして生産を始めました。
その後、関西方面が主要産地となり、大正から昭和にかけては重要輸出品として注目を浴び、1960年代のパールブームと呼ばれる好景気の時代、主産地のひとつ和泉市では小学生や中学生も真珠造りを手伝っていたほどでした。
昭和29(1954)年の『北海道新聞』に、「人工時代」と銘うった連続の特集記事が組まれ、その第7回目に北海道中央水試による「人工真珠」の研究が取り上げられました。「タネはニシンの鱗箔 ガラス玉に天プラ式のコロモ 結構庶民的夢を満たす」と目を引くタイトルが付けられ、限られた予算で始められた研究が成果をあげ、2年目ですでに企業化を視野に入れていたことが伝えられています。
同記事によれば、本物の真珠の首飾りは当時15~20万円、人造真珠は300~400円程度と、庶民が手に入れやすい価格だった人造真珠は魅力的なものでした。
ニシンの鱗を原料にしたパールエッセンスは、まずニシンをカゴの中に入れて振動させ、はがれた鱗を集めて水とともに攪拌し、どろどろになった状態のものを遠心分離機にかけて不純物を取り除いて完成させました。良質なパールエッセンスには新鮮なニシンの鱗が必要で、余市町は研究の適地だったようです。
この頃小樽市では北海道真珠工芸企業組合が設立され、輸入したパールエッセンスと、本州から運んだガラス玉を原材料にして人造真珠を製造していました。水試の研究が軌道にのれば、パールエッセンスの原料を近海から調達することが可能となり、より安価で高品質の人造真珠を作ることができるとして期待が高まりましたが、結局、ニシンは「幻の魚」となり、事業化の夢はかないませんでした。
写真:人造真珠の並ぶデパートのアクセサリー売り場
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