余市町でおこったこんな話 その21「フゴッペの発掘(その2)」
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前回に引き続き、フゴッペの発掘に参加された桐谷賢一氏のお手紙からエピソードを紹介します。
フゴッペ洞窟の一番の特徴は岩壁に刻まれた「絵」の数々で、岩面刻画と呼ばれています。現在では仮装した人物像や動物や舟などを描いたものと考えられていますが、発見直後は「古代文字」と呼ばれ、解読したという人も現れました。
こうした解釈や研究に欠かせないのは写真や図面です。フゴッペの刻画群を記録としてどのように残すか、桐谷氏をはじめとした関係者は苦心しました。油粘土を押し当てて石膏型に写し取る方法は何とか成功しましたが、刻画の形や配置などの記録を後世に伝えるには、刻画ひとつひとつの模写と壁面全体での位置関係を正確に記した図面が必要でした。
発掘当時、小樽商科大学2年生だった奥野義扶氏は、桐谷賢一氏らとともに写真撮影や模写など刻画の記録の中心的なメンバーで、奥野氏は模写作業を中心に、桐谷氏は模写の成果をもとにした全体図の作成を担当しました。
奥野氏は大型の画用紙に原寸大で刻画を模写しました。学業の合間をぬって進められたこの作業は細かな計測と正確な描写が必要だったので、終日仕事に没頭しても数年を費やしました。桐谷氏によれば、「誰かが洞窟に用事があって行けばいつも彼に出会う」ほどの情熱で作業が続けられたそうです。
奥野氏が作成した原図は100枚以上にもなり、これらは桐谷氏に引き継がれて全体図が作成されることとなります。氏はすべての原図が10分の1の大きさになるよう乾板カメラで撮影し、現像後のプリントの上に直接トレース紙をのせて形状をすべて写し取り、刻画すべての配置を慎重に再現しました。こうして完成した全体図は縦2m、横8mもの大きさになりました。
この図面作成の途中に、奥野氏が急逝するという悲しい出来事がありました。桐谷氏は奥野氏が亡くなった後に発見された刻画の現地模写を奥野氏にかわって行ない、追加の図面作成を行って全体図をついに完成させました。
完成した全体図が報告書とともに刊行されたのは、洞窟発見から20年が経った昭和45(1970)年のことでした。桐谷、奥野両氏が中心となって完成させた図面の正確さは驚くべきもので、刻画の輪郭は勿論、位置関係や距離の正確さは、平成になってコンピューター処理によって作成された新たな図面の精度と遜色ないものでした。
写真:模写図作成中の奥野氏
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