余市町でおこったこんな話 その15「古平へのみち」
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国道229号線は、小樽市と江差町を結んで延びる約290kmの日本海沿いのルートです。この海岸道路には茂津多岬や弁慶岬、神威岬等に代表される急峻な海岸線が続くすばらしい景勝地ですが、同時に道路開削の苦難の歴史を刻む道でもあります。
ローソク岩やセタカムイ岩を車窓に見ながら走る現在の余市・古平間の道路は昭和33(1958)年に開通しましたが、それまでは山間部を縫って古平町沖村に連絡する道路が利用されていました。
『後志の国道』によると、この山道は明治18(1880)年にニシン漁家らに負担を仰いで開通させたのが最初でした。明治30年代の新聞はこの山道を指して、「新道工事により当時の道路延長約6里(約23.5km)を3分の1に短縮し、勾配もゆるやかにすることが重要」で、「トンネル工事の成功が必要不可欠である」と指摘され、利用者からすれば改良の余地が多分にあった山道だったようです。
同40年には一部路線を変更して開削された幅約3mの道路が、車馬通行が可能な道路として完成しました。しかし、蛇行の多さや急勾配の連続で自動車の通行にはたいへんな注意を要し、すでにあった海岸線の道路よりも5kmほど長く、蛇行の数が1年間の日数と同じ365回ほどもあると揶揄されて「1年道路」と呼ばれました。こうしたことから、「その5」で紹介した定期航路が貨客輸送の中心を担う時代が長く続いていました。 大正時代に入って道路整備を求める声が大きくなり、昭和3年からの2年間、北海道庁札幌土木事務所により、余市古平間の海岸沿いを通る自動車道整備を目指した測量調査が開始されました。
工事は昭和23年に始まり、途中の同27年には梅川~豊浜町間の山間部を経由する計画だった路線が、海岸を通る計画に変更されるなどしましたが、開始から11年目の同33年、工事延長14km、作業員延べ人数75万人余、工事費用10億円余を費やし、二級国道小樽江差線が完成しました。
戦後まもなくだった工事開始の頃は、資材の調達や電力の供給が難しく、トンネルの掘削には最初、発動機を動力にした空気圧縮機を用いての削岩作業が行われました。また、道路の基礎部分となる石垣にはシリパ麓の海岸の割り石積みが多く用いられました(写真)。
想像を絶する難工事を克服した海岸道路の開通により、海陸の旅客輸送人員は変化しました。同27年当時の古平、積丹両町の旅客数を見れば海路が陸路に比して1万4千人ほど多かったものが、工期途中には道路の部分開通により逆転し、同32年には陸路を利用する人数は海路の20倍を越えるほどになりました。
写真:道路石垣の工事風景
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