余市町でおこったこんな話 その39「水害」
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余市川はたびたび水害を引き起こしてきました。江戸時代の絵図を見ると、川筋は蛇行を繰り返し、現在の余市橋付近に大きな中島がありました。現在の国道5号線が走る大川砂丘と登街道が走る黒川砂丘の間にはさまれて登川が西に流れて余市川と合流しています。また河口の幅も絵図で見る限り狭い様子で、水の流れはゆっくりしたものだったことが想像できます。こうしたことからひとたび大雨が降ったり春の雪解けが急に進むと下流域は水があふれました。
町民皆さんの記憶に残る水害は昭和37(1962)年8月に余市町を襲った台風9号ではないでしょうか。
2日夜半から降り出した雨は4日までに270ミリメートルを超え、全町の6割に及ぶ面積が水浸しになりました。死者1名、床上浸水1,750戸、余市橋、鮎見橋など大小あわせて町内10か所の橋が流失しました。
また余市橋近くにあった黒川小学校などの学校施設も深刻な浸水被害にあい、農業に及ぼした被害は約4億5千万円(当時)、同じく水産業では漁港2か所、漁船16隻など1億円の被害額を数え、このほか商店街などの被害をあわせると合計11億5千万円相当にもなりました。
翌月の『広報よいち』9月号に、この9号台風直後の災害写真が見開き2ページにわたって掲載されています。北海タイムス社から提供された、大川町上空から余市駅方面をのぞむ空撮写真を見ると、函館本線は余市駅からはるか仁木方面まで線路が水没し、駅の東側は広い範囲がまるで湖のようです。
登町のリンゴ畑は濁流にのまれ、川から流された石が梅川町の水田を河原のようにもしました。豊浜中学校は裏山の土砂が流失して校舎の窓の高さまで泥が押し寄せています。駅前の国道は大人の胸の高さまで水位が上がりました。
大川橋の半分が流されたのは、8月4日の早朝のことでした。まず午前5時頃に大川町側の橋脚が流され、その40分後にはその上で耐えていた橋げたが落下して流されます。
大川橋は当時から町の東西を結ぶ重要な橋だったので、早急な復旧がはかられました。応急処置的に幅3メートルのつり橋をかけて、人とリヤカー、二輪車の通行が可能な状態までになったのは1か月余が過ぎた9月下旬のことでした。
写真:流出した大川橋(大川町側から)
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