余市町でおこったこんな話 その34「開村記念碑」
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黒川町7丁目にある開村記念碑が、33番目の余市町指定文化財になりました。
碑は旧会津藩士団らによる黒川村と山田村への入植50年を記念して、大正9年に建立されたもので、『余市の石碑(改訂版)』によれば、当時のお金で2千円が投じられたものでした。
戊辰戦争で、新政府軍に敗れた会津藩士たちは、東京などで謹慎生活を送ったのち、明治2(1869)年に北海道へ向け海路出発、紆余曲折を経て同4年春から余市への入植が始まりました。
石碑背面には、明治の初め、巨木が生い茂り、熊が吼え、狐や兎の住処であった大地に「共存自治ノ精神」をもって入植したこと、入植から50年の節目に当たる年に碑を建立して、後世に「不朽」に伝えようとする決意などが刻まれています。
現在、石碑がある付近は、旧藩士団幹部の住宅や教学所、共同浴場などが建てられていた場所で、通りは「侍小路」の名で親しまれていました。ここを拠点として、余市川両岸の「シュプントー」(シュプンは川魚のウグイ、トーは湖や沼を表すアイヌ語)と呼ばれていた未開地が切り拓かれました。昭和59(1984)年、会津藩最後の藩主、松平容保公の孫にあたられる福島県知事(当時)の松平勇雄さんが余市町を訪れて、オンコの記念植樹をされました。知事さんは以前、札幌市琴似の屯田兵屋を視察された際、旧会津藩出身の屯田兵の中に余市町からきた者がいることを知り、この年の来町を企画しました。知事さんは「お忍び」での来町のつもりだったのですが、知事の到着を待っていた地元余市町のたくさんの関係者は感無量でこの時を迎えました。この時、最高齢だったのは明治24年生まれの93歳のお婆さんでした。
『余市移住 旧会津藩士の足跡』によると、植樹を終えて記念写真のために皆が並びはじめた時、知事さんは「戊辰の戦いを(偲ぶと)~特別に愛着が深い」とそのお婆さんの手をとり隣の席を勧められたそうです。
知事さんは2年後にも来町されました。最初の来町の際にお婆さんと交わしたふたつの約束のひとつ、「会津藩士之墓」への墓参をするためのもので、当時の新聞には「藩士の墓に会津の“殿様”合掌」と報道されました。
知事さんはその日、もうひとつのお墓に手を合わせました。お婆さんと交わしたもうひとつの約束だった再会はかないませんでした。
写真:開村記念碑
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