その97       砂浜

 昭和45年の新聞を見ると、大シケで海岸線の護岸に被害がでたという報道が、1年間にわたって目立ちます。被害があった月は同年1月末、3月、4月、11月、12月と新聞報道があったものだけでも5回ほどあります。
 最初の被害は1月31日から翌2月2日にかけて、北海道を襲った温帯低気圧「台湾坊主」によるものでした。モイレ山麓の余市川河口近くのコンクリート護岸が40mにわたってえぐられました。また、そこに隣接した海浜プール(当時)の護岸も200mもの長さでえぐり取られました。
 3月には「開町以来の大雪」といわれるほどの暴風雪が町を襲います。17日からの雪は町営住宅の屋根まで積もり、一階部分が埋もれて煙突だけがかろうじて見えるほどでした。この暴風雪にともなう高波は3月17日に大川町16、17丁目の護岸2か所の「水たたき(護岸内側の平坦面)」をそれぞれ20mと50mにわたって内側にずり落としました。翌18日にも高波はおとろえず、落ちた水たたきの下から波が入り込んで、護岸を破壊しました。
 1か月後の4月17日夜、今度は大川町11丁目を高波が襲います。60mの護岸を壊して隣接した50mも倒れました。
 4月22日付の報道には付近住民のお話が掲載されています。昨年秋まで30m以上の長さがあった付近の砂浜が、冬から続いたシケのせいでわずか1年足らずで急激に失われたのだそうです。
 町内の一部から「数年後には海水浴が出来なくなるのではないか」という“ミステリー”めいた噂が流れました(同年8月20日の記事)。また「(砂浜がなくなってきたので)町全体が沈んでいるのではないか」というお話も出ました。12月8日にも大川町12丁目の護岸を70mにわたって倒して、付近の住民に危機が迫りました。
 かつては余市川河口から大川町4丁目までが特に広く長い砂浜で、そこから登川河口(現在の)まで、砂浜が続いていました。子ども達が野球をして、ホームランを打ってもボールが海に届かないくらい広い砂浜だったそうです。昭和42年の余市湾沿岸の砂浜を撮影した航空写真を見ると、当時はまだ、余市川河口から登川まで切れることなく砂浜が続いています。砂浜保護の対策としてテトラポッド400個を入れることが決まったのは同年12月のことで、その後も護岸と砂浜保護のための対策が講じられて浜は守られています。



図:防潮堤が倒壊し波に洗われる大川町12丁目
(昭和45年12月11日の新聞記事から)