その86       ブドウ

 日本ではじめて西洋産のブドウが実ったのは道南、七飯町だったと思われます。品種は「ガルトネル」、赤紫の大粒のブドウで実がたくさんなる品種でした(『北海道植物誌』)。ガルトネルは、プロシア(ドイツ)の貿易商人で、明治元年に同町に開いた農場で色々な果物の生育を試してみた中にブドウもありました。
 明治4年になって開拓使はアメリカからリンゴ、ブドウ、洋ナシ、スモモ、アンズ、モモ、グースベリーなどを輸入、東京に設けた開拓使の農園(官園)に植えて育てます。同6年からはそれらの苗を札幌へ運んで育てました。
 開拓使顧問、アメリカ人ホレス・ケプロンらによって北海道の農業の基礎が作られます。ケプロンが黒田清隆にあてた書簡に果樹栽培について書かれたものがあり、リンゴは「百果中最モ美味」と称え、ブドウについては「本州火山ノ麓ニ移植セバ其繁殖疑ヲ容レザルナリ」と記しているので北海道での栽培には消極的だったのかもしれません。
 同8年以降、官設の果樹園が札幌市内に出来はじめます。専門のブドウ園も5ヶ所あって、総面積16万坪に10万株以上を移植したという記録があります。初めての結実は同11年に見られ、収穫したブドウはブドウ酒の原料になりました。
 同8年〜12年の間に札幌、石狩、小樽、高島、余市、有珠、幌別、室蘭、浦河、静内、沙流の各郡に無料で果樹の苗木が配られます。余市町におけるブドウの初なりがいつだったかは定かではありませんが、開拓使がブドウ苗木を配布していたとしても、栽培は軌道に乗らなかったようです。
 『大浜中の百年』に「大浜中ブドウ」の項があります。大浜中では大正時代になってから栽培がはじまりましたが、それ以前には岩内郡の共和町前田で盛んで、明治末から大正はじめころまでの後志管内では前田村が生産量でトップだったそうです。
 前掲書中に同地区の古老座談会での証言が載っています。
 「この付近にヤマブドウがよく実るのを見て、西洋ブドウを植えてみようということで植えました。たしか大正九年のころで、チャンピオンという黒ブドウでした。」
 大浜中地区のブドウ栽培の先駆者として、同書には川田好太郎さんと湯浅由太郎さんのお名前が見えます。両名が大浜中の土地を手に入れたのは大正5年、最初は開墾した土地にスイカやリンゴを植えてみましたが、連作ができなかったり潮風にやられたりしたため、砂地の土地によい作物はないかと思案しました。ふたりは試験的に欧州産のブドウの苗木をとりよせて試行錯誤を繰り返しました。後に大浜中ブドウの名声が広く知れ渡るまでには、たくさんの人たちの苦労がありました。


写真 ブドウの収穫『大浜中の百年』より