その82       昭和天皇の行幸

 行幸(ぎょうこう)とは天皇が外出することで、目的地が複数ある場合は巡幸といいます。昭和天皇は終戦の翌年の昭和21(1946)年から同29年まで積極的に巡幸され、沖縄を除く46都道府県を訪れました。地下1,000mの炭鉱や、原爆投下2年後の広島にも行幸されました。広島では復興が進む街並みを見て、安堵の言葉を口にされました。
 天皇が乗車された列車はお召し列車と呼ばれ、貴賓車(きひんしゃ)として製造されたもので、列車を牽引(けんいん)する機関車はとくに状態の良い車両が使われました。お召し列車と並んで走行すること、追い抜くこと、立体交差でお召し列車の上を走行することは出来ないものとされました。
 北海道行幸は昭和29(1954)年の8月6日から同月23日までの18日間、栃木県那須の御用邸をご出発後、函館、大沼公園、洞爺湖、登別地獄谷、夕張、旭川、層雲峡、北見、網走、弟子屈、釧路、帯広、富良野、札幌、小樽、倶知安、ニセコと各地をめぐられ、余市町へは行程の終わり近くの16日目にご訪問されました。
 8月20日夜、ニセコ観光ホテルにご宿泊され、翌朝、狩太駅(現在のニセコ駅)から余市に向かわれ、余市町に到着後、黒川小学校に設けられた奉送迎場(歓迎場)で1万数千名の「歓呼と万歳」に応えられました。
 その後、北海道大学農学部付属の余市果樹園では、北大農学部教授の沢田先生の案内で旭、紅玉などリンゴ75品種をご覧になりました。また袋かけをしない栽培法や病害虫防除について「御聴取」され、樹齢が50年ほどたったリンゴの木で、接ぎ木をしたものとしないものの比較実験にご興味を示されました。
 陛下がこの北海道行幸で最も心待ちにされていたのは、町内の次の訪問地、水産試験場(水産庁の北海道区水産研究所が併設)だったと思われます。ここで予定されていたのは北海道近海のウニ、ホヤなどの観察でしたが、ヒドロゾアという主に海にすむ無脊椎動物(むせきついどうぶつ)も観察され、同場内田教授に次々とご質問をされました。
 陛下は生物学者として海洋生物や植物のご研究をされ、とりわけ葉山の御用邸があった相模湾のヒドロゾアの分類に大きなご功績を残され、30種以上のヒドロゾアの新種を発見されるほどでした。
 この日観察されたヒドロゾアは、北大理学部と水産試験場の職員が総出で余市と忍路の海岸で採集したものでした。当初、巡幸のご予定になかった余市町が加わったのは、水産試験場があったからなのかもしれません。
 陛下はその後もヒドロゾアと植物のご研究を続けられ、ヒドロゾアの標本は国内に並ぶものがない精緻(せいち)なものと評価されました。また生前に刊行できなかった『皇居の植物』は、病床にあって吐血されながら原稿の内容について側近にご指示されていたというエピソードも残っています。


写真 北大農学部付属の余市果樹園においでになった両陛下