その54      シリパ山国設スキー場  

 雪が降るとシリパの斜面にくっきりとゲレンデが見えます。そのゲレンデ、シリパ山国設スキー場は、昭和37年1月に大々的にオープンしました。「国設」の二文字は、林野庁によってスキー場に適した国有林野が開放されて「国民スキー場」に選ばれたことに由来するようです。昭和37年1月の『広報よいち』にはスキー場全体の完成予定図が掲載されています。予定図には初級(長さ500m)のゲレンデと中級のゲレンデが続き、その東側(海側)にはジャンプ台が、反対側には回転コースと滑降コースが計画されました。
 スキー場開設の要望が地元に高まった背景には、地元出身の優秀なジャンプ選手が全国的な活躍をしたことがありました。戦後間もない昭和23年には第19回宮様スキー大会で余市町の原選手がジャンプ年少組で優勝し、同26年には明治大学スキー部のジャンプ選手による合宿がすでに行われました。同27年の第4回全道高校スキー大会では余市高校が初優勝、2年後の全日本スキー選手権大会では70mと90m級ジャンプの2種目で笠谷昌生選手が優勝して余市町出身ではじめての日本一となるなど、スキー熱はますます高まっていきました。
 同34年にはシリパ山の斜面を営林署から借りるかたちでスキーの練習地が整備され、同35年には、全道高校スキー大会で余市高校が8年ぶり2度目の優勝を飾ります。そして翌36年、秋田県花輪スキー場で開催された第10回全国高校スキー大会において余市高校が男子総合で初の全国優勝を勝ち取るに至りました。ジャンプ、リレー、複合での種目別優勝を飾っての快挙でした。
 「国民スキー場」開設の機は熟しました。余市高校が全国優勝した36年の『広報よいち』1月号の巻頭では、区会の連合会長や青年会議所、地元金融機関や教育長など役場関係者らが集まっての新春放談が掲載されていて、紙上で坂本町長(当時)は国民スキー場の整備を明言しています。


写真 : 完成直後のヒュッテ
 余市営林署を通じての林野庁への申請が許可され、ゲレンデに適したシリパ山第1峰と第2峰で整地が行われ、翌37年1月13日、「シリパ山国民スキー場」は町民に開放されました。同日午後1時からのスキー場開きではシリパ山移動聖火台に聖火が点火され、移動聖火台への点火、お祓い、町長挨拶、テープカットと続きました。5色のタイマツ行進、小中学生スキー教室、町民スキー教室と多彩な行事が催されたスキー場開きは、HBCテレビによって全国に放送されました。
 この「国民スキー場」の開設によってジャンプ競技だけでなく、アルペンの選手育成の環境が整うこととなりました。