前号に続いて昭和9年に余市新聞に連載された「水郷余市の景勝と風趣」から余市川にまつわる伝説を紹介します。
 玄津学人こと山岸礼三氏は同年8月9日、鮎場に住んでいる友人から鮎の食事会にお招きを受け、余市川沿いを自動車で鮎場に向かいました。
 鮎の塩焼きを食べながら山岸さんが昔聴いた話として披露したのは、川沿いに伝わるいくつかのお話でした。
 「熊の盗魚」明治になってから開拓の鍬が入った余市川河畔には、長い間巨木がうっそうと茂り、その木々からの落ち葉が川を豊かなものにしたのでサケやマスがたくさん獲れたそうです。
 川沿いに住んでいたアイヌ民族は獲れた魚を幾尾も突き刺した「竹棹」(木の棒?)の片方を岸壁に差し込み、もう一方を川の中に入れて鮮度が落ちないようにしながら漁をしていました。
 それを嗅ぎつけた熊が棹からサケを抜き取っていきます。全部を盗むのではなく1、2尾狙うだけなので、棒から外れて川に流れてゆく残りのサケをアイヌの人たちがまた拾い集めるのだそうです。
 川沿いのかつてのアイヌ集落は岬のように川に突き出た丘のふもとあたりで、そこはキナザシと呼ばれていました。山岸さんはこのキナザシという地名を「スガ(敷物の材料)を刈り取るところ」と解釈されています。(キナ:草、雑草、ゴザ 『萱野茂のアイヌ語辞典』)。
 「キナザシの怪物」このキナザシに「パイプ」と呼ばれる怪物がでました。山岸さんはこの怪物は獰猛(どうもう)な熊のことだろうと推測しています。
 アイヌ民族は年に一度、長老の家に集まって祭りの宴会をしていました。ある年、キナザシの人たちが長老の家に集まっていた時、その怪物がキザナシに現れました。
 そこに誰もいないのがわかると、怪物は下流のテイネ(余市橋の役場側のたもと、湿ったところという意味)に向かい、留守役のおじいさんをかみ殺しましたが、そこにいた娘がひとりだけ逃げ延びて皆が集まっている長老宅に駆け込みました。


写真 : 鮎場 (『余市新聞』 昭和9年9月23日)
   周辺集落のアイヌの人々が続々と集まって、怪物を退治しようとしました。最後は茂入山に追い詰めて刀で刺し殺しました。
 そのときの刀は山岸さんがお話を聞いた頃はまだ町内で保管されていたようです。