その47   「象が乗っても大丈夫-大川橋」の巻

 昨年9月のこのコ−ナ−で、昭和37年8月に襲った台風9号の大雨で大川橋の半分が失われたお話を紹介しました。
 その台風の被害から1ケ月ほどが過ぎてできた仮橋は、人とリヤカー、二輪車の通行のみが許可され、大川町側の商店街でも「開店休業状態」(当時の広報)が続いていたので、新しい橋の完成はみんなの願いでした。
 流出した橋は幅7.3m、長さ65m、水面からの高さ4mの大きさでしたが、札樽圏と積丹方面を結ぶ大事な橋と考えられたため、新しい橋はより大きく、幅9m、長さ82m、高さ5mのもので、橋のかかる場所も変更されて、川の流れに直交したそれまでの向きから役場に向かってより直線的(川の流れから見ると斜めに)に計画されました。
 昭和38(1963)年の『広報よいち5月号』によると、同年4月に開かれた第一回臨時町議会で、事業費1億773万円、翌年3月までの工期で大川橋の復旧の予算が決まり、5月1日に起工式が行われました。同号の表紙には半分になったままの古い大川橋の上に、より幅の狭い仮橋がかけられ、橋の両岸にはその後に改めてかけられる仮橋(つり橋)のやぐらが組まれています。つり橋はかなりの傾斜があるものでした。
 工事は橋脚の工事が難航して3ケ月遅れましたがついに新橋が完成し、昭和39年6月6日に渡橋式(渡りぞめ)が行われました。
 当日は午後2時からの完工式ではじまり、海野町長を先頭に栄町と登町の1家3代の家族2組を先頭にした渡りぞめの後、余市高校のブラスバンドや小学生の鼓笛隊が町内パレードを行いました。また、象2頭も大川橋を渡り、これは「全国でも例のない」こととして新聞で取り上げられました。そのときの様子は「新しい橋の上をゾウぞよろしく」(新聞記事)、「大川橋はだいゾウぶ」(広報)とだじゃれをまじえた記事で伝えられました。
 2頭の象は余市神社のお祭りの興行で来ていた猛獣サーカス団の所属で、関係者からの要請に応えたものでした。


写真:大川橋を大川方面に渡る象
 

 絵図でみると明治のはじめの河口には橋はなく、「渡場」がありました。その後、明治40年代の絵はがきに大川橋が登場します。その橋を初代とすると、昭和3年12月に完成して昭和37年の台風で流された橋が33年間利用された2代目の橋といえそうです。その後は台風直後の仮橋、起工式後の仮橋(つり橋)、昭和39年に完成して象が渡った橋、平成14年に完成した現在の橋と、数えれば過去に6つの大川橋があったことになります。