その31 月刊郷土誌『よいち』1月号
 昭和20年代末、余市文化連盟から月刊郷土誌『よいち』が刊行されていました(昭和30年頃に一時休刊し、後に隔月刊)。編集役員は会長以下総勢9名からなり、A5版で各号とも40ページ前後で定価は50円、内容は郷土の歴史、随筆、児童詩、創作文、座談会、俳句などで、読者からの投稿や本誌記者の取材によって編まれていました。
 50年程前の『よいち』1月号(昭和31年1月1日号)から当時の様子を見てみましょう。


写真:月刊郷土誌「よいち 
昭和311月号の表紙写真
(旧中央水試玄関)
 巻頭に坂本角太郎町長からの「年頭に際して」と題した一文が寄せられています。余市町は恵まれた土地であって農漁商工鉱と実に多種多様であり、自他共に富裕町と称されていること、豊かな「町造り」のためには今ある産業を確実に伸ばすこと、他に工場の誘致と観光事業の開発こそが重要であると述べています。
 「初冬の街にて」と題された随筆では、大川橋を渡った向こうにある商店街(大川町?)の様子が描かれています。賑やかな店舗が並び、ある洋品店では「早くも冬オーバーに強烈な原色のネッカチーフの娘さんたちが品物を選んで」いる様子や、黒い家並みの中に突然あらわれる騒々しい場所、遊技場で「戸外の寒風を聞きながら至極よい気持ちで楽しむパチンコ族」、帰途歩く切り通し(役場前)は「よく街灯の消えるところ」だったのですが、その日はひとつだけ点いていて崖の火山灰の層が屏風のようであったことなど、おだやかな視線から見た町の様子が伝わってきます。
 巻末の「余市短信」のお話からふたつ。昭和30年10月に国勢調査が行なわれました。町の人口は28,591名(男性14,027名、女性14,564名)、総世帯5,454戸のうち、農業1,125戸、卸小売(行商含む)は1,068戸、サービス業633戸、無職615戸、鉱業478戸、漁業水産養殖業362戸、建設業348戸、製造業(卸含む)249戸、運輸通信その他公益業241戸、公務員209戸、林業・狩猟業75戸、金融・保険・不動産業51戸でした。
 余市地方商工会議所が主催した余市温泉開発懇談会が11月17日に公民館で開催されました。町内の茂入、栄町、白岩町、豊浜町の4ヶ所が温泉として有望視され、中でもフゴッペ川上流「西の澤」が最も可能性が高いと言われていました。地下調査を行なって好結果が出れば、町の助成を頼んでボーリングを行なうこととなりました。ただし、予想される利権争いを避ける為に一切の権利を町に移して町営温泉とすることを条件にしようとの結論になりました。