その151 鮮魚の輸送

 余市町の漁業者は収穫した魚の鮮度を保つために苦労を重ねてきました。
 北海道立中央水産試験場でも浜の求めに応じて、水産物の鮮度保持を研究テーマのひとつとし、明治36(1903)年から大正14(1925)年頃、サケ・マスを氷と一緒に保冷して運ぶ試験を実施しました(『北水試百周年記念誌』)。
 大正から昭和時代にかけて鮮魚の道外輸送が飛躍的に伸びました。背景には、鉄道網が整備されたこと、冷蔵と製氷設備が発達したこと、各地に市場ができつつあったことがありました。
 大正時代の道内の鉄路での主要貨物発送量を見ると、活鮮魚が大正2~7年まで3万トン台だったものが、同8年以降は4~7万トンと増加しています。鮮魚の貨車輸送は明治末から昭和まで、道外が際立って多く、冷蔵設備を備えた貨車が登場する前から行われていました。明治末には「魚運車」と呼ばれる貨車がすでにありましたが、鮮魚輸送専用の冷蔵車が登場するのは昭和に入ってからでした(『北海道鉄道百年史 上』)。
水産業に付属する冷蔵庫は、明治32年に鳥取県米子市に出来たのが始まりでしたが、北海道では遅く、昭和7(1932)年に岩内町にはじめて設置され、翌年以降、オホーツク海側の雄武村(現、雄武町)、余市町、寿都町が北海道庁に建設に関わる申請をしました。余市町に冷蔵庫が完成したのは同14年のようです(『余市郡漁業協同組合創立百周季記念誌』)。
 余市町から生ニシンの貨車輸送が開始されたのは、大正8(1919)年のことでした。冷蔵車ではない貨車によって青森県と秋田県へ送られました。当時の回想がのこっています。
 「私が生ニシンを最初に余市駅から送ったのは大正8年で、おそらく余市でも一番はじめでなかったかと考えます。…(中略)…当時の馬車組合の忙しさといったら戦場のようでした。春になるとまず港町から駅まで組合で雪わりをする。地元は勿論ですが赤井川、仁木、小樽はじめかなり遠方からも馬車があつまるのです。…(中略)…往く馬車も帰る馬車も数百メートルつづき進むも退くもできない状態がつづきます。なにせ駅から今の公民館(当時、大川町1丁目付近)まで続いているのですから全く壮観でした。その後冷蔵貨車による輸送ができるようになりますと、余市は生もの供給地として全国的に有名になりました」(『余市漁業発達史』)
 それから6年後の大正14年、大川町のある商店主が冷蔵貨車での鮮魚輸送を試みた記録が、前掲書にあります。鮮魚専用ではなかった冷蔵貨車による輸送試験だったようです。試験の1回目は12月16日に行われ、マグロ(大)18尾、マグロ(小)45尾、ブリ20尾が東京の隅田川駅まで送られました。要した日数は5日間でした。続く2回目は同月24日に行われてマグロ(大)15尾が送られました。どちらも到着後の鮮度がよく保たれていたので、よい売れ行きだったそうです。

 

写真 ニシンの貨車積み(『余市水産加工業協同組合史』より)