その145  町民参加の運動会

  昭和30年代の町民参加型行事には、運動会や野球大会、相撲大会などがありました。相撲大会は中学校単位や、町内各地区の農事実行組合ごとに開催されました。仁木町との境界に近い黒川町の一部では、黒川十七区生活館の敷地内にかつて土俵があって、昭和30年初めころの秋には小中学生の部と高校生以上の部に分かれた相撲大会が開催されていました。高校生以上の部の賞品はりんご、参加者が腰に巻いたまわしは大川小学校に備えられていたものを借りてきたそうです。
 この時期、町民がもっとも広く参加したのは区会対抗の運動会だったようです。昭和31(1956)年の『句会だより』8月号に「町民大運動会挙行」の大きな見出しが見えます。
 「盛会をきわめた、余市町年中行事の一つ、町民運動会は前後七回にわたって、東中学校校庭ではなやかにくりひろげられましたが、町民各位の要望がありながらも諸種の事情から中止されておりましたところ、本年八月中に再開されることになりました」とあります。同25年の開催で7回目とあるので、戦前から行われていたようです。
 再開されたこの年の町民運動会は同年9月2日に行われ、総合優勝は富沢第一区会、二位が豊丘区会、三位が入舟区会の順でした。その後の『区会だより』、『広報よいち』(昭和34年5月発行から)を見ると、町民運動会は同36年までは広報紙にお知らせや結果が掲載されていますが、それ以降は記事が見られなくなりました。翌37年は台風による大水害や町長の交代があった年だったので、それ以降は開催が見送られたのかもしれません。
 さて、同32年の『区会だより』では、町民運動会の大々的な告知がされています。前年に参加した区会数は28でしたが、この年は38と大幅に増えました。仮装行列は恒例だったようで、「仮装も昨年以上のものを出そうと、各区会とも研究されており、年齢層リレーと共にこの運動会の人気を集めることと思います」とあります。総合グランドを会場にした9月1日の開催当日は、上水道、電話、医務室、便所が臨時で設けられました。大会長には町長が、大会顧問には地元選出の道会議員やニッカウヰスキー社長など、そうそうたる地元の名士が並んでいます。大会役員に並んで、仮装審査部長として北海道拓殖銀行余市支店長さんの名前も見えます。
 運動会のプログラムは『区会だより』の1ページを割き、種目の数は29、100m競争の予選から始まり、午前中は一般のマラソンで終わります。午後の最初は仮装競技、大会最後は予選3位以上の「年齢層リレー」決勝で幕を下ろしました。総合優勝が入舟第二、二位は富沢第二、三位は黒川第四でした。この年の『区会だより』には、船に乗ったエビス様と大黒様の仮装競技の写真が載っていて、盛り上がっている様子が伝わってきます。
 続いて翌33年9月発行の『区会だより』には、同年8月24日の町民運動会の結果が見え、初出場の豊浜鉱山が優勝でした。仮装競技の順位も掲載されました。一位は入舟第二の「観光余市」、二位は黒川婦人団の「売春禁止」、三位は大川第七の「ペンギンの新婚旅行」でした。それぞれ、どんな仮装だったのか気になります。

 
▲写真:男装した女性と女装した男性による仮装競技(次期不明)