その140  余市町西部の道路

 町内で最も古くからあった道路は、下ヨイチ運上家から浜中町をへてヌッチ川沿いに上流へ向かう道で、19世紀はじめ、幕府の命をうけたヨイチ場所の請負商人林長左衛門によって開かれたものでした。この道は稲穂峠を越えて岩内方面へ向かう道でした。次いで古いのは運上家からシリパ岬の麓にいたる海岸線の道と、余市川河口から海岸線を東に向かい栄町にいたる道で、同じく林氏によって弘化2(1845)年に開削されました。
 明治15(1882)年には、黒川町から仁木、大江の開拓のために入植した人々の集落を結ぶ道ができました。これが稲穂峠とつながる道路にかわり、その後、同20年に車馬が通ることができるように改修されました。現在の国道5号線の前身です(『余市町郷土誌』)。その道路は幅が約22mあって、ほぼ現在とかわらない幅でした。同じころ、町村道(現在の町道)は路線総数が101、道路延長が約137kmありました(現在は約235km)。
 明治19(1886)年の市街地を記した古い絵図を見ると、沢町方面では主要幹線としての国道や町村道は見当たらず、裡道(りどう、国道、町村道以外の道路の旧称)が見えます。お寺や神社の参道と海岸線に平行に走る道とが碁盤の目のように走っていて、山側から順に梅川町裡道、中町裡道、富澤町裡道、山碓町裡道となっています。
 ヌッチ川沿いは、江戸時代末から永住を許可された漁民らが多く暮らす街並みがありました。そこから西側は梅川の旧河川が蛇行しており、周囲が湿地帯だったからか、沢町方面の中では比較的後になってから家々が立ち並んだので碁盤の目のように整然とした道路が出来たものと思われます。
 ヌッチ川沿いの街並みと神社側からの街並みがぶつかる沢町1丁目から3丁目までには、いくつかの「○○小路」が見えます。沢町2丁目では国道229号線の海側に「新小路」、さらに一本海側には「小川線(小川小路)」、沢町の消防署の西側には「徳利小路」があります。
 「徳利小路」は、この付近に住んでいた鍛冶屋さんのご主人が定刻になると、お酒を買うために徳利をたずさえて酒屋に通ったのでこの名がついたといわれています。酒屋さんの名前は名畑酒屋といいました(『余市文芸』第39号)。余市自動車学校の西側には「カクサン小路」があります。これは名誉町民にもなった大資産家で、ニシン漁も営んだ猪俣家(屋号、シルシが三、カクサン)の邸宅の横の小路でした。「ガンガン小路」は余市農協西部支所の前の通りでした。「ガンガン」は石油缶のことで、この付近に住んでいる人たちが、ガンガンを使って炊事していたことに因みました(『ひびけ』第21号)。沢町小の隣のあけぼのプールの横は「水車小路」と呼びました。これはヌッチ川にかかる滝沢橋の向こうに水車小屋があったことに由来しました(「余市町でおこったこんな話その48、同49」)。
 住宅地図をつぶさに見るとさまざまな発見があります。

 
▲図 :小路が行き交う沢町1~3丁目