その136  トシトリ(年越しの夕食)とクジラ汁  

 早いもので今年も12月になりました。大晦日にいただく年越しの夕食、「トシトリ」について豊浜町の大正生まれの方から聞き取りをしたことがあります。その方によると昭和の初めころの正月準備はつぎのとおりでした。
 「12月に入ると長男が豊浜の山林から松、ミズキを採ってきて正月飾りを準備した。餅つきは12月27日と旧暦の12月27日の2回に分けて1俵づつ、ついた。~中略~マッコ(お年玉)は31日にもらった。トシトリ(年越しの夕食)は風呂上がりの4~5時ころにとった。風呂からあがると全て新品の下駄、足袋、メリヤスシャツ(機械編みのシャツ、ここでは肌着)、モモヒキ、縞模様の着物が兄弟8人分用意された。夕食は焼いたアキアジ、煮しめ、ナマス、キンピラゴボウ、煮豆、子和え、クジラ汁、お神酒が食卓にあがった。焼いたアキアジは仏壇にもそなえた。秋頃にとったアキアジを塩蔵していたものを調理した。」
 「トシトリ」を食べる晩は、大きな釜でご飯も炊きます。釜の底につく「おこげ」は子どもたちにとって御馳走で、まかないの人に頼んでそれをもらい、隠れて食べたそうです(『鰊場の話 郷土読本1』)。
 余市町指定文化財の古文書である林家文書には、運上家での明治4(1871)年の年越しの献立が盛り付けされた器とともに記されていて、「皿、大根、〆貝、塩引(サケ)、ニシン」、「汁、海馬(トドか)、末広大根、ぜんまい、味そ煮」、「平、かまぼこ、ねぎ」とあります。〆貝はどんな料理だったのでしょうか。
 『余市町郷土誌』の「食物」の項の正月料理には、「なます、数の子、きんぴらごぼう、甘煮、黒豆、荒巻、雑煮」とあります。ちなみに昭和40年代後半の道南、北桧山町では「なます(大根、ニンジン、刻んだ生アワビ)、魚の煮つけ(ホッケかソイ)、黒豆の煮豆、鰊の昆布巻き、数の子、クジラ汁、サケの雑煮(切り餅、豆腐、こんにゃく、油揚げ、生海苔)、煮しめ(わらび、豆腐、ニンジン、馬鈴薯、こんにゃく、油揚げ、かまぼこ)」と余市町よりも少し豪華な「トシトリ」の記録が見られます(『日本海沿岸ニシン漁撈民俗資料調査報告書』)。
 「トシトリ」の夕食の献立は、ニシンを追って居を構えた人たちが伝えた東北各県の食習慣がもとになっていて、入手できる食材によって地域ごとに違いを見せましたが、ほぼ同じものでした。
 今では捕鯨反対の声もあって、高価な食材になってしまいましたが、クジラ汁は当時、欠かせないお椀でした。ニシン漁が盛んだったころ、ニシンを呼び込む神様としてクジラは崇められていて、漁期中にクジラを食べることはなく、大きなクジラにあやかって大漁を祈願する意味合いで年越しから正月にかけて食べられていました。北海道独特の食ではなく、青森県や本州日本海沿岸の秋田、山形、新潟、福井などにクジラを食べる習慣がのこっていました。山形以北がクジラ汁の具が多く、新潟以南では少ないのだそうです(『北海道の食』)。

▲写真:クジラ汁