その135  りんごのほっぺ  

 「おいしいこと、おいしいこと。遠い昔が思い浮かぶ。~中略~子供の頃の私はまんまるい顔で、ほっぺは赤かった。それゆえか現在に至るも一番好きな果物はりんごです。」
 北海タイムスの投稿欄(「広場」昭和62(1987)年9月2日)に掲載された「余市名産の天然果汁に拍手」の一部です。この前年秋から生産が開始されたりんごのほっぺは、1ℓ詰めの紙パックで、57万本が最初の年に生産されました。
 余市町で多く作られていたりんごの品種、スターキングは昭和50年代後半には価格が低迷し、台風による落果被害の影響もあって生産者が困っていました。規格外のりんごは生食としての買い手がなく、加工用として青森県の加工業者へ販売していましたが、運搬の経費がかさむため抜本的な解決策にはなりませんでした。
 ちょうどその頃、大分県から始まっていた一村一品運動が全国に広く影響を見せていて、余市町農協(現在のJAよいち)では、余市のりんごだけを使ってジュースを作れば特産品として売り出せて、低価格の品種にも付加価値が付いて安定的な栽培が出来ると考えました。
 そこで同58年冬、ジュース作りを担う人材を育てるために青森県の農業・工業協同組合連合会へ職員を派遣しました。翌59年には製造から販売までの基本構想を固め、同60、61年の2年で黒川町登街道沿いの現在の場所に工場が建設されました。発売開始当時、りんごジュースの市場価格は1ℓあたり200円を切っていましたが、りんごのほっぺはその2倍ほどの400円で販売されました。これは搾汁してそのままパックするストレート果汁にこだわったからでした。
 従来から一般的だった濃縮還元は、果汁から水分を取り除いた後に水を加える方法で、品質を均一に保てることとあわせて、冷凍保管や輸送のコストダウンが可能といった利点がありました。しかし地元関係者は、割高になってでもストレート製法を採用して、余市りんごのおいしさをそのままジュースにしようと考えました。
 時期によって工場に運び込まれる品種の違いは、搾り出された果汁の糖度や酸味にあらわれましたが、品種ごとに特徴の違う果汁をブレンドすることで、均等な品質を維持しました。
 発売開始の年の北海道新聞には「りんごのほっぺに好評の便り」の見出しが見えます。東京や京都、川崎市などから、「おいしかった」の声と一緒に「どこで買えるか」、「また買いたい」といった問い合わせや追加注文が舞い込んでいるという記事が見えます。
 スターキングを主原料としてはじまった生産でしたが、「ハックナイン」や「つがる」、「あかね」、「王林」も原料に加わって、各単一品種のジュースも発売されるなど多彩な商品構成になりました。
 生産当初から関係してきた農協の方の声を聞きました。「余市は今では色々な果物の町になりました。でも、りんごの町というこだわりは持ち続けたいと思っています」
 
▲写真:発売開始ごろのデザイン)