その134  りんごの品評会  

 明治時代の一時期、北海道のりんご栽培が病害虫によって痛手をこうむった時期がありました。コムクドリの被害は以前紹介しましたが、ほかにも明治20年代のモニリヤ病(灰星病)や、30年代の腐らん病などが栽培農家を悩ませ、被害が大きくて栽培をあきらめる者が続々とあらわれたため、生産量で青森県に大きく水を開けられるようになりました。
 このため明治37(1904)年6月には北海道内の関係者が集まって、病害虫の予防、栽培の改善方法、品評会の開催を柱にして、色々な対策が練られました。
 同年11月1日に北海道果樹協会の主催で、北海道果實(実)品評会が開かれました。全道から出品された果物は1,351点(りんご1,199点、なし65点、ぶどう1点、果樹苗木57点、果実加工品22点、農機具ほか7点)で、ほかにも東北の果物も比較のために展示され、札幌農学校(現在の北海道大学)、御料局札幌支庁(宮内省の一局で皇室財産を管理。後に外局)、北海道庁などからも果実と加工品、病害虫の標本、農機具などが展示されました(『北海道果樹百年史』)。
 この品評会の目的は、単に出品された果実の優劣を決めるだけでなく、出品した果物が実った果樹園の現場審査をあわせて行うことで、病害虫の被害でおとろえた北海道のりんご栽培を再び軌道にのせようとしたものでした。
 前掲書によれば、果実と果樹園に対する評価を同じ採点基準にして、その合計で順位を決めました。1位と2位の入賞者数を地方別にみると、札幌地方と余市地方の果樹園が11点と同数で、次いで空知地方の6点でした。同書には「余市地方の目覚ましい躍進ぶり」とあるので、それまでの果樹栽培の中心地が札幌地方であったことがうかがえます。
 余市町から出品されたりんごのうち一等賞を獲得したのは、紅玉を出品した山田村の高山家と緋之衣を出品した余市購販組合で、高山家は国光でも二等賞を得ています。他にも緋之衣を出品した三宅家も二等賞をとっていて、余市の栽培家は優秀な成績をのこしました。
 この3年前の同34年には、小樽郡外六郡水陸産共進会が5日間の日程で、沢町尋常高等小学校(現在の沢町小学校)を会場にして開催されました。教室を陳列品ごとに分けて、果実311点、大豆など普通農産物2,338点、水産品354点、酒類35点が出品され、陳列物ごとに審査が行われました。来場者のために船賃や汽車賃が割引されたこともあって大盛況に終わりました(『余市農業発達史』)。
 明治時代は、近代日本の工業化の実績や他国の文化を広く国民に知らせる目的で、博覧会が大都市を中心に盛んに行われました。明治10年に上野で開催された、第1回内国勧業博覧会は明治時代に5回開催された博覧会で、国内の産業を発展させて新たな輸出品を作り出す目的で催されました。北海道の果実品評会もこうした時代背景があって開催されたもので、同時に病害虫で打撃をうけた北海道の果樹栽培の再興を目指したものでした。
 
▲図:北海道果實(実)品評会の立札(『北海道果樹百年史』)