その119   鮎の会
      ~北大果樹園を支えた先生たち 

 昭和29(1954)年8月の昭和天皇行幸の際、余市町でのご訪問先のひとつだった北大余市果樹園で天皇陛下をご案内した島学長(当時)と澤田教授は、北海道大園芸学講座を支えたお二人でした。また島学長の前任者、星野教授は、明治40(1907)年に設置された果樹園芸学講座(東北帝国大学農科大学、当時)の創立時の研究者で、北大余市果樹園が大正元(1912)年9月に設立された後は、同果樹園での現地指導にも取り組まれました。
星野勇三博士
 初代の園芸学講座担当の星野勇三先生は、山形県庄内出身で、作物の交雑(自然に起こる交配)に関する実験や、生物の遺伝に関する外国の文献の紹介を積極的に行いました。星野先生はリンゴ栽培が将来的に有望なことを確信し、余市果樹園での各品種の比較試験や、栽培技術の改善、生産費につての研究など様々な成果をのこされました。
島善鄰博士
 園芸学講座の二代目の教授、島善鄰さんは、生産者が口をそろえて「リンゴの神様」と呼んだ方でした。大正3年に東北帝国大学農科大学を卒業された後、青森県農事試験場技師として活躍後、昭和2年に助教授として母校にもどられ、星野教授の後任となりました。
 島先生は病害虫防除、果樹園の施肥と土壌管理などに功績を残しました。昭和のはじめころ、生産者が悩まされていたのは、葉や花、実を腐らせるモニリア病で、島先生はその病気の発生メカニズムを解明して病害対策を明らかにし、この研究により農学博士の学位を得ました。島先生はその後、第6代目の北海道大学長となりました。
澤田英吉博士
 島さんの跡を継いだ澤田英吉さんは、島先生と共同で当時余市果樹園に植えられていたリンゴ300種の主なもののビタミンCの含有量を分析し、その成果を学会に発表しました。その後、澤田先生はリンゴの葉の分析、果樹園における土壌管理など、星野、島両先生の時代に見られなかった新しい問題解明に尽力しました。
 昭和27(1952)年、星野先生、島先生、澤田先生の三先生のご夫妻と、余市果樹園近辺のリンゴ園主夫妻との交歓会が行われました。鮎を食べながらの、その宴は「鮎の会」と名づけられたそうです。鮎の会の開催には2つの条件がつけられました。夫妻同伴であること、三教授が健在である限り続けることでした。
 昭和33年9月15日、老人の日にちなんで行われた鮎の会はとても楽しいものでした。この日集まった園主は10人で、三人の教授らと昔から交流を深めていた人たちでした。
 教授と園主さんらは、鮎飯は塩味にするか醤油味にするかと議論を沸騰させ、塩焼の鮎をコップ酒に入れて鮎酒と称して楽しく飲み、笑いに包まれた宴席だったそうです。


写真 鮎の会の一コマ(時期不明)