その111      姉妹都市イースト・ダンバートン・シャイア   
 「何度も(別れたくない。こっちさえよければずっと居たい)と思い、涙が出てきました。」(西中3年生)「私は将来国際関係の仕事に就きたいと思っています。」(旭中2年生)
昭和63(1988)年10月12日、渡英した阿部町長(当時)と英国スコットランドのストラスケルビン(当時、後のイースト・ダンバートンシャイア)市のコイル市長とのあいだで姉妹都市提携の調印が交わされました。この年の広報よいち11月号の表紙には、「兄弟・姉妹の固い握手!」の見出しとともに握手した二人の写真が見られます。
調印式は同市の議会議事堂で行われました。コイル市長以下、同市議会議員や関係者の歓迎のなか、阿部町長、松平議長両氏が婦人同伴で調印式に望みました。
姉妹都市提携のきっかけは、彼の地がニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝氏の留学の地であったこと、同氏の奥さんであるリタさんの故郷カーキンティロフがストラスケルビン市に属していたことでした。
調印式の1年前、竹鶴さんのご家族がリタさんの足跡を求めて、スコットランドのカーキンティロフを訪問し、コイル市長とお会いしました。その後、同市ゆかりの紋章があしらわれたグラスが、ニッカウヰスキーの竹鶴社長に託されて、余市町へ贈られたことをきっかけに書簡のやりとりが始まりました。翌年7月には北海ソーラン祭りにコイル市長夫妻が余市町を訪れられ、この時、同市側から姉妹都市提携の準備があることが伝えられました。
同市は後にスコットランドの行政区再編のため、イースト・ダンバートンシャイア市へと移行しました。市名変更後の平成9(1997)年、姉妹都市提携を続けていくことで合意し、再度調印書が交わされました。この間、親善使節団や勤労青少年交流団、中学生同士の交流が盛んに行われました。現在では更なる行政区の再編により、イースト・ダンバートンシャイア市はひとつの行政区域となったため、直接的な友好事業は行われていません。
前述の中学生の感想は、同12年に姉妹都市との交流事業で渡航した町内の中学生が書いた感想文の一部です。中学生6名のスコットランドへの旅は、10月29日から11月8日までの11日間にわたりました。現地の学校レンジーアカデミーでの交流では、折り紙や習字、浴衣の着付け、茶道などの日本文化を紹介し、スコーン作り、スコットランド民謡、スコティッシュダンスなどスコットランドの文化を体験しました。
8日間のホームステイ先でのそれぞれの思い出が文集になってのこされています。滞在中最も心にのこったこととして、彼らの多くがホストファミリーと過ごした週末をあげています。ハイキング、家族とのトランプ、ホームパーティ、外食、花火見物、移動遊園地での思い出ともに、感謝の言葉が見えます。
「この旅で感じた事は、言葉が通じなくても、伝えたいという思いと優しさを持てば、いくらでも気持ちは通じるという事です。私はこの旅で受け取った優しさを決して忘れません。」
 10月末まで、イースト・ダンバートンシャイア市との姉妹都市提携の歴史を紹介する催しが、図書館で行われています。

 
 
 写真 調印式後の両首長の固い握手(昭和63年10月12日)