明けましておめでとうございます。今から30年ほど前の冬の『広報よいち』に、その頃の冬の催しが見えます。昭和59年に始まった雪祭りは、黒川小学校跡地(現在の道の駅付近)で2月に行われました。写真には、その年のロサンゼルスオリンピックのマスコットキャラクターのワシ(アンクルサム)の雪像が見え、台座には余市防備隊と刻んであります。この雪祭りは好評だったようです。明けて昭和60年の広報1月号に、町内5大ニュースが発表されていて、その第5位に「第1回余市雪祭り」が挙げられています。ちなみに、ベスト3は第3位が「余市川改修工事スタート」、第2位が「余市協会病院移転問題」、第1位が「黒川小学校新校舎完成」でした。
 翌60年の第2回雪祭りは盛りだくさんの内容になりました。実行委員会は子ども達に楽しんでもらえるような内容にしようと考えました。昭和60年の広報を見ると、雪像コンクール、芸能発表会、冬を食べよう会、撮影会、牧場小公園、小運動会、ポニーと遊ぼう、ビデオゲームがいっぱい、アフリカ救援チャリティ即売会を予定しました。この年は暖冬で、雪不足が心配されましたが、ゴジラや筋肉マンなどの雪像が18基と長いすべり台が作られて、参加者数もまずまずでした。
 その後、2年間の空白期間があって同63年の2月に、寒々まつりの名前で復活しました。会場は2年前と同じく、黒川小の跡地で、広報のお知らせによると、「町内の若者からなる町おこし団体で積極的な活動を続ける‶志立波(シリパ)″。」が実行委員会となること、また町や教育委員会、観光協会が協力して開催されることとなりました。テーマは「すべって ころんで 雪まみれ」、自作そりレース、雪合戦、坂登り、迷路タイム、尻すべり、綱引きが予定されました。「志立波」の会員28名が総出で、雪像づくりの公募、会社や団体への協力依頼、会場づくりなどに追われました。雪像は郵便局、ニッカウヰスキー、光陽学院、三上時計店、青年会議所、青年団体協議会らが製作し、かまくらも作られました。
 当日は真冬日でしたが、大勢が来場して、用意された温かい飲み物や豚汁も売り切れるほどの人出でした。翌年(平成元年)の寒寒まつりは、初年度と同じ体制でスタッフが組織されて準備が進みました。当日は、記録的に暖かな日となりましたが、なんとか開催することが出来ました。その後も寒寒まつりは10回目まで続きました。
 平成4年には、北海道から「利雪・親雪モデル都市」に指定され、翌5年1月19日には公民館でシンポジウムが開催され、「私と北海道」と題して作家の椎名誠さんによる講演もありました。
 
 写真:寒寒まつりの様子(『広報よいち』平成元年1月号の開催予告から)