−その4− 「臨港軌道鉄道」の巻
  昭和8年(1933年)の余市町市街明細図という住宅地図があります。そこには、水産試験場から役場前を通って余市橋をわたり、余市川に合流していた登川沿いに余市駅まで伸びる線路が見えます。
 これは昭和7年(1932年)に設立され翌8年5月10日に運行が開始された余市臨港軌道株式会社のガソリンカーの路線です。「余市町郷土史」(昭和8年)によると、軌道の工事は路線総延長を約2.7kmと予定し、役場前の国道、通称「切り通し」部分の路盤を1mほど下げる工事を行って開通させました。 
  同社の前身は昭和5年(1930年)に設立された余市電鉄株式会社で、沢町と大川町を結ぶ路線を持っていましたが、一切の権利を受け継いだ余市臨港軌道はこの路線を再整備し、余市駅のある黒川町と浜中町間の路線を国鉄(現在のJR)と連絡させていました。
 昭和10年代に作られたと思われる余市臨港軌道の観光パンフレット「余市の観光」を見ると、停留所は余市駅、黒川町、余市市場前、余市橋、警察前、浜中町、浜余市(現在の中央水試付近)の7箇所があって、全区間の運行時間は約10分、始発は午前6時15分、終発が11時頃まででした。運賃は余市・浜余市間で10銭、定期が同区間で1月4円20銭でした。
  運行当時の様子が掲載された「ひびけ」(昭和53年刊)を見ると、臨港軌道の敷設前、坂が急で1番の難所だった「切り通し」部分が囚人労働によって切り下げられたこと、削られた土砂が勾配をゆるくするために使われたこと、一般道路内にあった軌道に荷馬車の車輪がはさまって動けなくなり運行が妨げられることが多発したこと、荷馬車により止められた旅客の移送に、会社側が購入したバスをもって対応したということが書かれています。
 余市町の西と東を結んだ軌道は当初、漁獲されたニシンを運ぶために計画が立案されたとも言われていますが、昭和に入ってからニシン漁獲が不安定になり、臨港軌道が作った前述のパンフレットが「余市の観光」と銘打たれたように、同社の営業は人を運び、観光を目的としたものだったようです。