−その3− 「余市天然水族館」の巻
   昭和30年代の余市町は、海、川、山と変化に富んだ自然を持ち、フゴッペの「古代文字」などの遺跡やアユ釣り、果物などの観光資源の豊富さや、交通網の整備によって札樽圏との距離が近くなり、観光客が年々増加していました。この頃の新聞や記録を見ると、新たな産業をおこさなければという町民の願いがあったようで、観光面へのてこ入れとして打ち出された「全町公園化計画」の一環として余市天然水族館の建設がスタートしました。 
 建設資金をねん出するために製菓会社とタイアップした「ミス観光余市」の募集もあり、この年は町内から3名の「ミス」と「準ミス」が選ばれました。 
▲余市天然水族館開館当日の様子
 総工費500万円の予定で着工した水族館は、敷地面積2,300u、モイレ岬の岩礁を利用しつつ、磯を掘削しコンクリートで囲んだ大きな放流池が作られました。
 その中には、鉄橋で四方とつながった人工の島が2つ配され、放流池の外壁面のガラス窓からは水中を泳ぐ魚を見ることができ、海の生き物を自然のまま観察できる日本ではじめての施設と宣伝されました。
 アザラシやアシカの海獣類、ブリ、フグや近海魚など20種類の魚は、積丹一帯と石狩湾の各漁協に依頼して集められました。
 昭和33(1958)年9月7日に開館の日を迎え、初年度の有料入場者は1万2千人を数え、上々の滑り出しでした。営業期間は毎年10月頃までの季節的なものでしたが、翌34年の入場者数は同年9月末までで6万人を超えました。この年の10月24日から3日間にわたった閉館行事のひとつ「釣供養」では池の魚を自由に釣らせるお楽しみもありました。
 閉館行事は規模を拡大し、昭和36(1961)年に行なわれた「水族館まつり」は10日間にわたって開催され、札幌円山動物園の移動水陸動物ショーが人気を集め、なかでもカンガルーのトム君と人間のボクシングが話題を呼びました(試合はトム君の判定勝ち)。
 しかし、水族館は昭和39(1964)年には予算上の都合から閉館、海水浴客に開放されましたが、その後は冬のシケなどで老朽化が進んでしまいました。同じ頃、新たなモイレ山の観光開発が計画され、後のモイレ城閣や水産博物館建設の動きが加速してゆきました。 
▲水族館のシンボルタワー