−その23− 余市のお酒「十一州」の巻
 余市町の酒造りの始まりは、江戸時代末に佐渡から沢町へ移住した澤善吉氏だという記録が残っています。明治時代になって町内には幾つかの酒造業者が現れます。『余市町郷土誌』によれば明治21年(1888)に名畑市十郎氏が清酒製造を始めたとあり、同じ頃、山本豊作氏、柏崎源太郎氏、但馬八十蔵氏、野坂與吉氏の各氏が酒造りを営んでいました。
 『ひびけ』によると明治26年頃には山本氏による銘柄「ヌッチ川」、その父山本福松氏による「志ら藤」が沢町で、柏崎吉蔵氏の「朝日山」が大川町で造られていました。明治28年には阿部勘五郎氏が大川町に酒造会社を設立、清酒「しら雪」が造られ、同42年には山本(豊作)、柏崎、但馬、野坂ら余市町内の酒造業者が集まって従業員 26名の余市酒造株式会社を創立し、社長に田中久蔵氏、専務取締役に阿部勘五郎氏が就任しました。余市酒造では「金泉」「銀水」の銘柄が造られ、後には代表的な銘柄「十一州」が生まれました。戦時中には政府の命令により休業状態となり、昭和18年には酒造の権利が小樽合同酒造株式会社に委譲され、酒造りができなくなった同社は酒石酸製造有限会社と名を変えて、軍事用の酒石酸の製造を行ないました。
 その頃、常務として迎えられた阿部寅之丞氏が後に酒造の権利を買い取って、昭和24年11月に余市酒造が復活しました。『日本清酒株式会社四十年史』によれば、再発足時の社長は吉川武雄氏、常務取締役は阿部寅之丞氏で、昭和32年6月には古平町の本間酒造店を買収するなど年々事業は拡大しました。本間酒造が醸造していた「清泉」「千と世」「繚爛(りょうらん)」のうち、とりわけ「繚爛」は近隣町村で愛飲されたそうです。昭和33年4月には工場を移転、社名を北海道酒造株式会社に改めました。
 昭和37年には「千歳鶴」の銘柄で有名な日本清酒株式会社との合併の動きが現れ出し、翌38年3月には対等合併を了解、同年10月に日本清酒余市支店となりました。多くの方が覚えておられるであろう「十一州」の名称は、北海道全体を指しています。
十一州のお酒のラベル
(北海道と稲穂をデザインしています。)
 これは明治の改元後、北海道全体を11ヶ国86郡に分けたことに由来するものです。この「十一州」とあわせて本間酒造の「繚爛」、「山海」などが好評で、販路は江差、根室、稚内まで広がり、まさに十一州に及んでいました。
 昭和30年代まで余市酒造は現在の公民館付近にあり、町内に長く住まわれている方にとって昭和41年頃まであった四角いレンガ煙突の風景はとても懐かしく思い出されるものだそうです。