−その22− 「水産試験場」の巻
 昭和4(1929)年10月13日、浜中町に北海道水産試験場本場(現在の北海道立中央水産試験場)が完成しました。前身は、小樽市高島(当時の高島郡高島村)に明治30(1897)年10月に開設された高島水産試験所で、同34年12月に北海道水産試験場高島本場となり、翌年から事業が開始されました。その後20数年が経過して施設が老朽化したことにより、移転改築のはなしが持ち上がると、余市町が名乗りをあげました。
 移転誘致の経緯を振り返る新聞記事を見ると、「町の税金の半分以上を納めていた」ニシン漁業者が団結して進めた誘致運動の先頭に立ったのは猪俣安造氏と林孫蔵氏で、当時の笠島町長と共に積極的に働きかけて約6万円の資金を集め、林氏所有の土地を提供するなど誘致に好条件を揃えました。また予定地を更に拡張するための埋立てに要した約5万円の工事費も、ニシン漁業者らの寄付によって集められ、これは当時の町予算の4分の1にもなる金額でした。
 『余市小史』によると余市町のほかに小樽市と岩内町も誘致運動を展開しましたが、最終的に余市町に移転が決まり、昭和3年9月に工事が始まりました。鉄筋コンクリート3階建ての本館の設計は、札幌グランドホテルを手がけた会田久三郎氏によるもので、道庁の直営工事で行なわれました。
 落成式では本館前に特設舞台が設けられ、町内の芸者さんが総出で何日も続き、式に招かれた小樽市の関係者は東洋一とうたわれた建物を見て、「こんな立派なものが建つとは知らなかった」と残念がったそうです。
▲かつての水産試験場
(左下は懐かしいタイヤ公園)
 時は移り、昭和30年代後半には水試の存続を危ぶむ報道が見られます。これはその頃、水試内に併置されていた水産庁北海道区水産研究所(北水研)の移転とともに、水試自体の組織改編の議論がなされたことによるもので、その改編計画は余市からの移転を前提としたものでした。これに驚いた地元余市町は、昭和43年に「町議会北水研存置特別対策委員会」を設置しました。北水研は当初、札幌市月寒への移転が取りざたされましたが、臨海地が望ましいということで中止になりました。
 その後、小樽市と函館市が誘致運動に名乗りをあげて「三つ巴」の誘致合戦となりました。
 存置運動は平成まで続き、平成元年時点での建設候補地には小樽市と余市町が挙がっていました。余市郡漁業協同組合を筆頭に17団体で構成された「中央水試存置充実期成会」を中心とした署名運動など、地元一丸となった運動が効を奏し、余市町に存置することで決着を見ました。平成4年5月に着工した工事は、総工費17億円と約2年半の時を要して現在の施設が完成し、今に至っています。
▲現在の水産試験場